身をさらしながら街を変えて
—— 前回(第1回)では、「青い芝の会」とお二人の出会いについてうかがいました。「青い芝の会」の活動が私たちの身近に感じられる例はありますか。
九龍ジョー(以下、九龍) いちばんわかりやすいのは「川崎バス闘争」がきっかけで、車いすでも公共交通機関に乗れるようになったことかもしれませんね。
荒井裕樹(以下、荒井) あの頃は障害者が街にいるだけで、周囲の空気がピリピリしていたような時代だったんですよね。ドキュメンタリー映画『さようならCP』(1972年)に、横田弘さんが出てきます。この中で横田さんが電車に乗るシーンがあるんですけど、横田さんがいるだけで、車両の空気が完全に凍るんです。横田さんたちは、そんな時代に街に出はじめた。自分の身体を人目にさらすことで、「障害者が街にいる」という既成事実をつくっていったんだと思います。
今、ぼくらは街で車いすの人を見かけても、空気が凍ることはまずありません。でも、それは社会が障害者に優しくなったというわけじゃない。彼らのやってきた既成事実が積み重なって、障害者が街にいることが、生活感覚として根付いてきたんだと思います。
横田さんたちは、30年とか40年かけて、「街に障害者がいる」という生活感覚を切り開いてきた。前回も触れた「川崎バス闘争」みたいなことを起こしながら、「障害者もここにいさせろ」ということを訴えてきた。
九龍 まさに身をさらしながら、社会を変えていったんですよね。荒井さんの著書『差別されてる自覚はあるか』を読むと、青い芝の会の活動が現実に勝ち取ったものの大きさを感じます。
荒井 ぼくは障害者運動について研究していますけど、マジョリティの方から気を使って、マイノリティの権利を進んで認めた事例というのを知りません。常にマイノリティからの問題提起があって、マジョリティがそれを認めていくんです。
左:荒井裕樹さん 右:九龍ジョーさん
障害者には「主体」がない?
九龍 『さようならCP』には、詩を朗読するからと街中で通行人を呼び止めるシーンがありますよね。その詩がまたいいんですよ。「足」という詩です。
「足」
私のまわりに集っている大勢の人々
あなた方は、足を持っている
あなた方は、あなた方は、私が、あなた方は私が歩くことを禁ずることによってのみ
その足は確保されているのだ
大勢の人々よ
たくさんの足たちよ
あなた方、あなた方は何をもって、私が歩くことを禁ずるのか
朗読をしている時に警官が来て、わーっと中止させられてしまう。当時はストリートミュージシャンもいたからなんの問題もないはずだとおもうのですが……。
そこで画面はブラックアウトするんですけど、音声が聞こえるんです。「責任者は?」と警察が聞いて、横田さんが「私です」と答える。それでもまだ「責任者は誰?」って警察が聞き返す。つまり、パフォーマンスをした横田さん本人を責任者と認めないんですよね。
荒井 障害者に「主体」があるとはおもわれていなかったんですよ。だからこそ、「青い芝の会」の行動綱領には「われらは、強烈な自己主張を行なう」と書いてあるんですよね。
九龍 ぼくは学生時代に大学の講堂で『さようならCP』の上映会をやったことがあるんです。もともとはぼく自身が『さようならCP』を観たくて、のちに新宿のツタヤでレンタルされていることを知るんですけど、当時はフィルムで観るしかないと思っていた。それで、青い芝のどこかには当然フィルムが保管されているだろうと思ったので、横田さんに「見せてください」と頼んだら、「イヤだ! あの映画は好きじゃない」って言うんです。それでもお願いし続けたら、「上映会をするならいいよ」と言ってくれた。
それで上映会なんてやったことないんですけど、あの有名な『さようならCP』の横田さんの全裸カットがありますよね。あれを大きく印刷したビラをつくって、学校内のいろんなところにばらまいたら、けっこうな数の学生が集まってくれて。もしかしたら前衛的な芸術映画だと思ってきた人もいたかもしれない。まあ、実際、そういう映画でもあるわけですけど。
上映後、横田さんと、やはり出演者でもあり、「青い芝の会」川崎支部で活動してした小山正義さんをゲストで招いてティーチイン、今で言うアフタートークもやりました。学生はみんな黙りこくってて、逆に横田さんと小山さんのほうからガンガン学生に質問していましたね。二人ともすでに高齢でしたけど、なんというか、自分の存在を懸けて、こうやって唾を飛ばしてやってきたんだなっていうのが垣間見えて、圧倒されましたね。
波風を立てないと、存在自体を無視される
九龍 ぼくが最初に出会った脳性マヒのIさんも、そんな横田さんに若さゆえの反発も抱えながら、かなり影響を受けていたとおもいます。
荒井 九龍さんが多目的トイレにこもっていたときに、トイレのドアを蹴ったIさんですね。(※第1回参照)
九龍 そうです(笑)。彼は電動車いすを使わないし、駅でエレベーターも使わない。エレベーターがある場所でも、必ず階段のそばにいって道行く人たちに「すいません、すいません」と声がけして、手伝ってもらっていました。エレベーターを使わないIさんをあからさまに嫌がっている駅員もいましたけど、そうすることで、彼は自分自身を使って、「障害」というものを可視化しようとしていたんですね。
—— なぜ嫌がられてもそのように行動したと思いますか?
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