わいたこら。
その事実を知ったとき、とっさに僕の口から出た言葉は、この、ちょっととぼけた響きの九州弁だった。
驚いたり、呆れたりしたとき、故郷のみんなが思わず口にする、ビックリマークのような言葉だ。標準語で言い換えると、「なんじゃこりゃ」という意味に近い。
ものすごくびっくりしたせいなのか、なぜかわからないけど、ちょっと笑ってしまった。
思わず口にするまで、僕は「わいたこら」という言葉を忘れかけていた。
野球選手として日本、そしてアメリカの中心・ニューヨークで大きな活躍をして、世間では「スポーツ界のファッションリーダー」とまで言われていた僕に、そんな “どローカル”な言葉を口にする瞬間が待っていたなんて!
怒り、悲しみ、寂しさ。「わいたこら」が何かの合図であったかのように、僕の中にごちゃまぜの感情が一気にあふれ出した。
裏切られた。
ものすごい額のお金を、最も信頼していた人に、騙し取られたんだ。
「やりたいことに思い切りチャレンジして、仲間と一緒に、毎日を全力で楽しむ」 そんなポジティブで、ハッピーな人生を過ごすことをモットーとしていた僕だったけど、さすがにこのときはドツボに落ち込んでしまった。
その後、ダメージから回復するのに、結構時間がかかった。
今だから話せる、僕の失敗ストーリー。
聞いてもらえるかな?
財産、プライド、過去の栄光… 全部、吹っ飛んだ!
僕は九州の福岡で育った。小学校で野球と出会って、猛練習の結果、高校時代にちょっとだけ知られる選手になった。
18歳でスカウトされてプロ野球の世界に入り、阪神タイガースの主力打者、外野手、さらには投手としてもプレー。
29歳のときにアメリカに渡ってメジャーリーグのニューヨーク・メッツで4番を打ったり、サンフランシスコ・ジャイアンツでワールドシリーズに出たりした。 32歳のときに日本に帰り、北海道に本拠地が移ったばかりの日本ハムファイターズを「日本一の球団」にしようと決心し、「世界一の守備」を披露したり、いろいろなサプライズを起こしたりして盛り上げた。
そして、34歳のとき日本シリーズに勝って日本一になり、引退。
そうして「スーパースター」と呼ばれるほどの超有名人になった僕は、CMに1本出ただけで1億円以上稼げる人間になっていた。
東京では南青山の家賃160万円の高級マンションに住んで、フェラーリやカウンタックなんていうスーパーカーを乗り回していたこともある。
セレブ野郎の自慢話なんか、聞きたくないって?
いや、別に自慢したいわけじゃない。 その後に起こった「とんでもないこと」のことを考えると、とても自慢する気持ちになんてなれない。
僕は、信用していた人にお金を使い込まれていた。
それも、100万円とか200万円のレベルじゃない。
20億円だ。
金銭トラブルが起きてから、僕は何をどうやって生きていけばいいのかわからなくなった。
財産だけでなく、プライドも、過去の栄光も、全部吹っ飛んでしまった。
生きているのか、死んでいるのか、わからないような毎日が続いた。
それでもどうにか乗り越えられたのは、日本を離れて、はるか南のバリ島で多くの時間を過ごしたおかげだった。
20億円を失って、気づいたこと
僕があの20億円を騙されずに持っていたら、その後に、どんな人生を送っていただろう。
20億円を持ってバリに移住していたら、でかいビルを買って最上階に住んでいたかもしれない。でも、きっと楽しくなかったはずだ。
ほしいものが簡単に手に入ってしまうというのは、あんまり楽しくない。お金がまったくないのもつらいけど、ありすぎてもつまらない。
どっちも経験した僕が言うんだから、間違いない。
冷静に比べると、フェラーリをポン!と買った日よりも、子どものころに親孝行して特別にショートケーキを買ってもらった日のほうが感動は大きかった。 だからといって、お金のない生活のほうが幸せだ、なんて言うつもりはない。
僕は、とにかくたくさんお金を稼ぎたかった。たくさん稼げば、それだけスターとして認められているんだと思えたから。
メジャーにチャレンジしたのも、世界最高峰のスター選手になるという、アメリカンドリームを追い求めたから。
でも、そのとき提示された年俸は2200万円。
日本の球団から5年契約で12億円のオファーがあったけど、僕は心を動かされなかった。
英語もしゃべれない、ポジションも決まっていない。最初のチャンスで逃したらずっとマイナーリーグ。それでも行動を起こしたんだ。
「俺は12億円レベルの選手じゃない。アメリカで活躍して、もっと稼いでやる」
心の中で、そう覚悟を決めていた。やっぱり大きくなるためには、ハングリー精神がなければいけない。
超貧乏な家で育った僕は、お金持ちになることをひたすら望んでいた。でも、お金持ちになってからは、「俺が望んでいたのは本当にこれなのか」と疑問に思うことがよくあった。
だから、もしかしたら20億円を使い込まれたのは宿命だったのかもしれない。
「もう一度、人生をやり直してみろ」という神様からの命令だったのかもしれない。
僕のストーリーは、ずっと続いている
裏切られたばかりのころ、僕は失ったものの大きさを毎日考えていた。 たとえば、札幌ドームいっぱいにドミノを並べて、「もうすぐ完成」というところで、一瞬気がゆるんだ隙にドーッと倒してしまったような気分。
でも、バリ島で元気を取り戻した僕は、だんだんこう思うようになっていった。
「俺、まだスタートしてなかったのかも。これまでの人生は、ただの助走だったのかも。助走で思いっきり飛ばしたりこけたりしたところで、それが何?」
スーパースター・新庄剛志の物語は、まだプロ野球選手として成功したエピソード1と、金銭トラブルでしくじったエピソード2が終わっただけ。
今、僕はエピソード3の途中を生きている。
本当に面白いのは、これからだ。
普通の人が乗ったら死んじゃうくらいの、安全ベルトも停止装置もない、ジェットコースターのような僕の人生。 文字なんかですべて語りきれるわけがないと思ってきた。
だから、僕は「本を出す」という話をほとんどすべて断ってきた。
僕の人生を伝えようと思ったら300巻くらいの本を出さないと、ちゃんと伝わらないんじゃないか。1冊で語ろうなんて、無理に決まっている。
5年付き合った人からでも、「お前のことはよくわからない」とよく言われる。下手すると、僕も自分のことがよくわかっていない。
でも、このあたりで1冊書いてもいいんじゃないかと思うようになった。
これからの物語を描くために、今の自分を見つめるためにも。
この本では、ありのままの僕を伝えたい。
ありのままの新庄剛志、どん底から這い上がった、今の新庄剛志を知ってほしい。
僕が話すことがブッ飛んだことばかりなのは自分でもわかっている。
でも、僕の経験が何かヒントになったり役立ったりすれば、とても嬉しい。
格好いいことばかりじゃないけど、本音で語ろうと思っている。
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お金の天国と地獄を経験した“スター”新庄剛志が語る「わいたこら!」なお金の話もお見逃しなく!
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