体が快復するまで母親の近くで寝起きさせられた。十分な食事と睡眠を与えられ、そうして三日ほど安静にしていると歩き回れるようになったので、僕は久しぶりに自分の部屋に戻る。
そこにはあいかわらず閉塞感が漂っていた。依然として心中に燻るものはあったが、失敗してしまった以上は繰り返すつもりはなかった。こうなっては生きてゆく他ない。あの日毛布をかぶって部屋を出たときそのままとなっている部屋を片付け、そしてまとめたゴミを玄関に運ぶと、流しに放置されていたパソコンが目に入る。
試しに繋いでスイッチを入れてみると、ビープ音と共に電源ユニットのファンが回り、ハードディスクドライブを読み取るカリカリという音がした。そして、モニターにはWINDOWS2000の起動画面が表示される。
一時的な復旧かもしれないが、ともあれ僕はほっとため息をつく。パソコンなしの生活を考えるとぞっとする。これがなければ、僕は何をしたらいいのかわからない。もし完全に壊れていたら、もう新調する費用はないのだ。
そして何気なくメーラーを立ち上げると、ものすごい勢いでメールを受信しはじめる。どこかの業者にスパムメールでも送りつけられたのかと思ったが、そうではない。それは、サイトの読者からのメールであった。
その総数は二百通あまり。そのほとんどには、僕の自殺を引き留めるような文言が綴られている。『あなたが死んだら自殺者が出るよ』なんて、脅迫めいたものまである。予想外の反響に対して、僕は白々しいものを感じた。ネットの日記書きなぞに、よくこんな感情的な文章を書けるものだ。しかし、その一方で本当はもっと感動しなくてはいけないのだという罪悪感もあった。
義務感に促され、古いものから読んでゆくと、その間にも新しいメールが次々と届く。そうか、僕は自分のサイトに言葉を放置したままだったのだ。書き換えるのを、忘れていた。
すぐにメールの確認をやめてテキストエディタを立ち上げ、そして、こう書いた。
『僕はまだ死んでいません。死のうとしたのは事実ですが、サイトにアップした直後に友人などが家におしかけてきて、僕の母親をよび、救急車をよび、なにもできないまま注射などを打たれてしまいました。死ぬと書いて置いて死ななかったのはまったく厚顔の至りというか、実に恥ずかしいことなんですが、僕はいきのびてしまいました。僕を止めてくれた多くのひとたちには感謝していますが、いまだ憂鬱感が消え去らないのも事実です。でもこれは僕が生きていくいじょう一生涯つきまとうものであろうと予感しています。とにかく、いまは僕は死んでいません。それだけは事実です。ご迷惑をかけてもうしわけありませんでした。』
可能な限り正確に状況を報告しなくてはいけないのはわかっていたが、文章を書こうとすると、脳の内側がドロドロとしてうまく言葉が紡げない。いつもの倍以上の時間をかけて書き上げると、推敲どころか、読み直す気力さえ残っておらず、そのまま『電気サーカス』のトップページに上書きした。
それから、届いたメール全てに目を通し、それが終わると、少し眠った。
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