誤解を恐れずに告白すれば、僕は日本テレビのバラエティが苦手だ。
2009年から、年明けにNHK総合で『新春TV放談』という番組が放送されている。
これは、局の垣根を越えてテレビについて語り合うトーク番組。その中で、視聴者へのアンケートを集計した「人気番組ランキング」が発表される。そのバラエティ部門では、毎回、日本テレビの番組が数多くランクインする。2017年に発表された2016年ランキングでは1位、2位こそ逃したものの、3位から6位を独占した上、8位、9位にも選出。ベスト10のうち、実に半数以上の6本が入った。翌2017年ランキングでも、ランクインの数こそ減ったものの、今度は1位、3位、4位に日本テレビの番組が選ばれた。
いまや、こうしたランキングでも、視聴率でも日本テレビは絶対的な強さを誇っている。
だが、僕はテレビ好きを自負しているにもかかわらず、恥ずかしながら、このランキングに選ばれるような日本テレビの番組をほとんど見ていない。これらの番組は、実際に見れば間違いなく面白いのだが、なぜか見ていなかった。苦手だったのだ。
そんな僕に、『週刊文春』編集部から「日本テレビについて連載で書いてみないか」という話が来た。1994年にフジテレビを年間視聴率で逆転する日本テレビをテーマにしてはどうかという提案だった。そこから現在の日本テレビの強さの秘密を探れないかと。
大丈夫だろうか。躊躇せざるを得なかった。
だが、調べれば調べるほど、90年代からフジテレビに迫り、やがて逆転する日本テレビの“物語”に魅了されていった。そして、それが現在も地続きであることが分かってきた。
「日テレって物凄く"下品"なんですよね」
そんな折、僕は「文春オンライン」で不定期の連載を始めた。それはテレビ好きの著名人に、これまでのテレビとの関わりを詳しく聞いていくという「テレビっ子」インタビューだ。その第1回のゲストが前述の『新春TV放談』にも出演しているミュージシャンのヒャダインさんだった。
そこで僕は、『TV放談』のランキングと、テレビっ子の好きな番組とは乖離があるんじゃないかということを聞いてみた。するとヒャダインさんはこのように答えた。
「そうなんですよね。でも一般的にはそういうことなんだなと思いました。マスはこっちが好きなんだなと。マスが好きなものを供給している日テレというのは大したものだなと思いますね。だからいい意味で日テレって物凄く“下品”なんですよね。みんなが欲しいものをリサーチして、なりふり構わず出すという。そこにプライドもへったくれもない。あの感じがランキングにも出ていて、逆にぼくは非常に好感が持てました。内容云々は抜きにして、ビジネスとしてちゃんとやっている。テレビの種火を消さないようにしてくれているじゃないかと思います」
「いい意味で下品」という言葉に合点がいき、「テレビの種火を消さないようにしてくれている」という指摘にハッとした。
確かにそうなのだ。
もうテレビはダメだ、などと言われている時代に、日本テレビはそれでも歯を食いしばって、下品とも言われるくらいのサービス精神で、視聴者に見やすい番組を提供し続けている。世間とテレビをギリギリでつなぎとめているのだ。
それに気づいた時、やっぱり日本テレビについて書きたいと改めて思った。
"超"がつく大物の痺れる一言とは……
僕はこれまで、直接取材をせずに、既に世に出た書籍、雑誌、ラジオ、テレビなどの発言を元にテレビに関する書籍を執筆していた。それはその距離感こそが“テレビ”だと思っていたからだ。だが、今回は、そのスタイルを変えた。当時、最前線で戦った多くの(元)日本テレビの社員の方々に取材した。単純に当時のことがあまり語られていないということが大きな理由のひとつだが、それ以上に、今回焦点を当てたかったのが、テレビそのものではなく、それを裏で支えている人たちだったからだ。それを描くには、実際に生々しい証言を聞くしかない。
90年代半ば、フジテレビを逆転した時代の編成局長として日本テレビを指揮し、その後日本テレビ社長にまで登りつめた萩原敏雄さんにも話を伺うことができた。超がつく大物に緊張しながらも、僕は単刀直入にフジテレビに勝てた要因は何かという質問をした。
すると萩原さんは、「残念ながら……」と前置きして、本編で明かすある人物の名を挙げた。
「残念ながら……」
僕は、この一言に痺れた。
そして、これから書く本は、そういう本だ、という確信めいたものが生まれた。
つまり、この「残念ながら……」という一言には、“人間”が宿っていると思ったのだ。愛憎、恩讐、葛藤……。人間の思いが詰まっていたのだ。テレビは人間がつくっている。その当たり前の事実がくっきりと輪郭を持って迫ってきて震えた。
テレビ屋たちのそうした思いを描きたい——。
今回の単行本『全部やれ。』は、日本テレビの看板番組のひとつ『24時間テレビ』から始まる。実は、この番組は92年に大幅にリニューアルされた。それを成功させた者たちこそ、逆転劇で主力となった若い世代のつくり手たちだったのだ。
その後の第1部では、80年代終わりに立ち上がった「クイズプロジェクト」から、どのように「知的エンターテイメント路線」と呼ばれる『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』や『マジカル頭脳パワー!!』、そして『世界まる見え!テレビ特捜部』が生まれていったのかを紐解く。
第2部では、その本流から外れた異端のつくり手が生んだ『進め!電波少年』や『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』を。何よりこの1部と2部では、若いつくり手たちがいかに切磋琢磨し成長していったかを描いている。
その後、本書はベテランや裏方たち、フジテレビの動向、そして視聴率「0.01%」をめぐる最終決戦と進む。
今回の本連載では、この中から『24時間テレビ』の大リニューアル、そして『進め!電波少年』、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』という伝説的な番組の誕生秘話を紹介していきたい。
繰り返しになるが、本書は、テレビの裏話のようなものが主題ではない。ひとつの一大プロジェクトに対し、名もなき者たちが組織の中で奮闘しながら巨大な壁に立ち向かい、乗り越えていく様を描いたものだ。それはテレビという世界に限らない、人間の物語だ。
年間平均視聴率推移
80 年代、日本テレビの視聴率は低迷していた。民放3 位が定位置。一方、フジテレ ビは82 年一気にトップに躍り出て、以降 12 年間三冠王に君臨。日テレにとってフジの背中は遥かに遠かった。 だが90 年代、徐々に差を詰め始め、93 年には遂に全日でフジに並ぶ。そして94 年、いよいよ日本テレビはフジテレビを捉 えた。全日では圧倒した日テレだが、ゴールデン、プライムは年末までリードを許す。勝負は最終週までもつれ、最後の視聴率小数点第2位が「0.05」以上なら同率首位で三冠王、「0.04」以下ならフジの逃げ切りという「0.01%」をめぐる争いになった(日本テレビ50 年史編集室編『テレビ夢50 年』〈日本テレビ放送網〉をもとに作成)。