14 デカルトは少しずつ「慰める」
私があなたにお願いしたいのは、苦悩を少しずつ和らげるよう努めることだけです。 ―デカルトからポロへの手紙 (一六四一年一月中旬)
哲学者のお悔やみ状
デカルトの時代つまり十七世紀、遠方にいる人と連絡をとりたいと思ったら、手紙しか手段がありませんでした。電話などなかった時代です。ですからデカルトは、それは多くの手紙を書きました。現存しているもので七百三十通あまり。母語のフランス語に加え、当時の物書きの共通語であったラテン語、さらに居住地のオランダ語で書かれたものが残されています。
その内訳は、近況を知らせる短い私信から、数学や物理学の難問を論じる、そう言ってよければ学術論文に相当する長いものまで、さまざまです。しかも、私信の場合はいざ知らず、学問上の手紙などは、広く学者仲間に回覧されました。当時は複写機など存在しませんでしたから、手で書き写したものを回し読みしていくのです。
しかし、ここで少し詳しく読んでみたいのは、そのような小難しい手紙ではありません。「哲学者のお悔やみ状」とでも呼べる手紙です。イタリアの生まれで、デカルトと生涯にわたって友好関係を築いたポロに、しかも弟を喪ったばかりで悲嘆に暮れるポロに差し出された、それは心慰められる手紙です。
実を言うとデカルトには、味わい深い手紙がいくつもあるのです。十八世紀から十九世紀のヨーロッパで花開いた「書簡体小説」に出てくる手紙かと見紛うほどのものです。書簡体小説とは、登場人物の思いをダイレクトに綴った手紙のやり取りを通じて物語が進んでいくものですが、ポーカーフェースを装うことの多いデカルトにあって、このポロに宛てられた手紙などは彼の思いが素直に表されていて、読む者の心に響きます。
悲しみや苦しみは「少しずつ」解消する
ポロが弟を亡くしたのは、一六四一年一月十四日のことです。それから程なくしてデカルトは手紙を書き送ります。「あなたが深い悲しみに沈んでいるという辛い知らせをつい先ほど受け取ったところです」と書き出しているからです。ただ、正確な日付けは知られていません。
デカルトはまず、親友の悲しみに同情することから始めます。どうして同情することが大事なのか、実は前年に父と娘を相次いで喪ったデカルト自身の体験に基づいています。悲しみに打ちひしがれる彼を励まそうと周囲の人たちは躍起になるが、そのことがかえって彼の悲しみを深めたというのです。むしろ彼を慰めてくれたのは、次のような人たちの控えめな振る舞いだった。
「気持ちが軽くなったのは、悲嘆に暮れる私に心を動かされていると見て取れた人々の心遣いによってでした」
心を動かされる、つまり、相手の辛い思いに同情する。そうしてもらうことが慰めに繫がった。だから自分も同じような「心遣い」を親友に示すのだとでも言うかのように、次のように書きます。
「涙も悲しみも女の占有物なのだから、男らしく見えるように無理をしてでも平静を装うべし―私はこんなことを考えるような人間ではありません」
この発言はなかなか大胆です。そもそもポロは軍人でした。しかしデカルトはその彼に、軍人たる男が泣いてどうする、などとけっして言わない。男だろうが女だろうが、軍人だろうがそうでなかろうが、泣きたい時はさめざめと泣くがよい。それどころか、泣くべきですらある。
「どのようなことであれ、理由があるのに深い悲しみをまったく感じないというのは、粗野というものです」
しかし、デカルトはすぐに付け加えます。
「そうは言っても悲嘆に暮れてばかりいては情けないでしょう」
悲しんでばかりでは埒があかない。だから「なんらかの手立て」が必要だと述べます。「自分の身を危うくする」ような、それほどの「不快な感情からできる限り逃れる」ためです。それこそ食事も手につかないようでは痩せ細ってしまう。
それでは、どのような「手立て」を哲学者は軍人に勧めるでしょうか。彼のアドバイスはどのようなものであれ、二十一世紀を生きる私たちにとってけっして無意味ではないはず、という期待を抱きながら、そのうちの一つを読んでみましょう。この手紙の最後の部分です。
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