必死で意識を別のことにそらしていても、二十四時間気を張り詰めることは出来ない。間隙を縫うかのように、殴られ床に転がる僕を笑う真赤の顔が浮かんで来る。タミさんがT川君が見下ろしている情景が浮かんで来る。そして一度浮かぶと、脳裏から打ち消すことが出来ない。
みんな、僕を見るな。あざ笑うな。軽蔑をするな。どこか穴の中へでも隠れて、全ての視線から、他人の僕への感情から、逃げてしまいたい。押し入れの中に布団を持ち込んで眠ってみても精神に他人の視線がからみつくのを感じる。見られているのは肉体ではなく精神なのだ。僕はあの部屋で真赤によって心の根っこの部分を引きずり出され、皮を剥かれ、どくどくと脈打つ血管も、触れられたならば死に至る心臓も乱暴に暴かれ、嘲笑された。それはけして人に見せてはいけない部分なのに。金を借りるとか、嘘をつくとか、そういったありきたりな恥辱とは決定的に違う、もっと致命的で人に触れられたくない部分の話だ。真赤にはかつて見せたこともあったが、それは信用していたからだ。なのに、今はみんなが知っている。家族だって知っている。最も不名誉な形で目撃されてしまっている。こんな恥を晒して、どんな顔をして生きてゆけばいいのか。誰に対しても人間らしい顔をして接することなど出来やしない。今までは虚勢などを交えつつ、一線を守っていたのに。
嗚呼、兄弟はどう思っているのだろう。かつて父親が家を滅茶苦茶にしたとき、僕はそれなりに着実に働いて、進んで建設的な活動をして、いくらかは株をあげたと思うのだが、長男としての立場を築いたつもりでいたのだが、もうこれで完全に台無しになった。タミさんやT川君はどう思っているのだろう。まだ、僕より真赤を信じているかもしれない。僕には味方はいない。僕自身でさえ擁護は不可能だ。こうなるともう笑うしかない。アハハハ。母親が心配している。みな僕という人間を忘れてくれないだろうか。いなかったものとしてくれないだろうか。
秋頃に遊びに誘われて、出かけたくはなかったが、誰とも顔を合わせたくはなかったが、いやもう何だっていいやと逆に開き直り、またぞろ井の頭公園まで出かけていった。
宇見戸やら、クサノやらとフリーマーケットを冷やかすという、まあいつも通りの会合なのだけれども、僕はそわそわして仕方がない。
こいつらは僕のことどう思ってるのか。素知らぬ顔をしているが、ネットの世界は狭いし、裏で噂されているに違いない。なのに、普通の顔で接しやがって。なんとか反撃をしたかったが、しかし僕にはそれらの思惑から身を守るすべがない。結果、やたらと笑ってばかりいることになる。そのみっともないヘラヘラはおやめなさいよ、と、自分で自分に言い聞かせようとしても、ままならない。いやんなってしまった。身の置き場がなくなってしまった。そして、そのまま池に飛び込んでしまった。なんという失態だろう。あいつは女にフラれておかしくなったと、わざわざ自分で宣伝をしてしまうとは。
それ以来もう外には出ていない。メッセンジャーも起動をしない。そうしてネット日記だけを書き続け、そして気がつけば冬である。あっという間に冬である。驚くほどに何もしないままに季節が過ぎた。なのに失われた何かを取り返す光明は見えない。まともな人間の、ふりさえ出来ない。これは最早死ぬ他にはないと思った。死ぬべし。目的が出来ると、久しぶりに心が持ち上がったのがおかしい。
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