膨張し続ける「□」の世界
—— 『死霊のはらわた』といえば、阿部さんとゾンビは切っても切り離せない関係にあります。デビュー作の『アメリカの夜』も、新人賞に投稿された際の原題は『生ける屍の夜』でした。このタイトルはジョージ・A・ロメロの『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』からきているわけですよね。
阿部 はい。
—— そして今作『□』は、監禁と拷問だけでなく、カニバリスト集団の登場など、スプラッタやホラーの要素が強い作品になっています。この方向性は、当初から頭にあったものなんでしょうか?
阿部 いや、それはなかったんですよ。監禁と拷問については頭にあったのですが、カニバリズムについてはまったく念頭になかった。完全に書きながら出てきた設定です。最初にカニバリストが出てきたのは『夏』のエピソードですが、そもそもここでは結構エキセントリックな歯科医が登場します。
—— ええ、すごいキャラクターでした(笑)。
阿部 『夏』のエピソード自体はカーペンター版の『遊星からの物体X』が元ネタなんですが、それはともかく、あの歯科医が出てきたのは、『□』の形から口の文字が浮かんできたからなんですね。そして口からイメージを膨らませていった結果、カニバリストの存在が浮かんできた。『夏』のエピソードではただ車に轢かれるだけの役割なのですが、いったん登場させたからにはきちんと物語っておかなければならないと考え、『秋』ではカニバリスト集団を登場させました。
—— しかし、『□』というタイトルから口の形が浮かび、歯科医になって、さらにカニバリストにまでつながったというのは、すごい話ですね。
阿部 『□』の形だけでなく、「シカク」という音も重要でした。単行本の帯にもいくつかの語意を記していただきましたが、そんなふうに、ひとつの音からさまざまなシカクを膨らませていきましたし、物語にもその要素が入り込んでいると思います。
—— まさに自由な広がりがあった。
阿部 いや、書きながら組み立てられたのは細部だけです。物語の大きな道筋は、かなり早い段階から見えていました。なにも決めず自由に書こうと思いながらも、職業病のように物語の設計図が浮かんでしまうし、結局は監禁や拷問を描いている。自由に振る舞おうとしたはずなのに、不自由な方向に行ってしまっている。そんな自分自身の矛盾した状況が、作品世界にも反映されている気はします。
人は自由になれないのか?
—— 矛盾といえば、今作で興味深かったのがある種異様な世界観です。死者を蘇らせるために身体のパーツを集めていく、という基本設定もそうですし、カニバリストだけでなく超能力的な力の持ち主も出てきます。
阿部 そうですね、この『□』では、できるかぎり実社会とは異なるルールの世界を描きたいと思っていました。
というのは、最初になにも決めずに書くと決めると、必然的に「創作における自由とはなにか?」を考えざるを得なくなる。われわれ小説家も、自由に物語を創作しているようでありながら、じつは多かれ少なかれ実社会のルールや物理法則に従って書いている。たとえば作中の登場人物は、理由もなしに赤信号を渡ることはしません。フィクションでありながら、道路交通法という実社会のルールを守っている。このように現実世界と作品世界の共有部分が多くなるほど、読者はその物語を受け入れやすくなります。
でも、本当に自由であろうとするならそんなルールに従う必要はないし、従ってはいけないのではないか、という問題意識が浮上してくる。
そこで今作では、現実世界とは遠く離れた、ここでしか通用しないルールをたくさん設けてみました。街中をカニバリストが歩いていたり、超能力が存在したり、ゲーム的に死者が蘇ったりする。しかも作中の誰もそれを驚かない。
—— そこが非常に不気味でした。なんの説明もないまま混沌とした世界が進展していくというか。
阿部 あえて説明を省いていくことで、物語のフィクション性を強調させたかったのです。これは先ほどお話しした『死霊のはらわた』に感じた、フィクションとしてのリアリズムともつながることです。
—— なるほど。うーん、デビュー当時からずっと持っていた問題意識が、継続発展されているわけですね。
阿部 やっぱり、人は自由になれないということですよ。□という四辺をぐるぐる回って、同じことをくり返している。自分自身に監禁され、拷問されている(笑)。
—— そう考えると『□』というタイトルはますます示唆的です。
阿部 たとえばタイトルを決め、登場人物の名前を決めた時点で、もうなにかしらの物語性を孕んでいるわけです。だから身を持って「なにも決めずに書く」という言葉の矛盾を知ることができたのは大きかったですね。もしも本当になにも決めずに書いたとしたら、本来はサミュエル・ベゲットの小説みたいになるはずです。登場人物がまず目覚めてベッドから起き上がる行為からして、生まれて初めての体験のように描かれなければならない。
—— なにも決めずに書くなど、原理的にできない。
阿部 それだけ人間は、あらかじめ情報を詰め込まれてしまって、物語性にまみれている。なにかしらの言葉や記号に触れた瞬間、ある種の先入観や物語が思いついてしまう。ことに小説家なんて、毎日そんなことばかりを考えている人間ですから、なにも考えずに書くことなどできない。考えないという行為の不可能性にあらためて直面したのが、最大の収穫だったのかもしれません。
もうひとつの発見としては、執筆中に自分が見聞きしたものや、ふと思いついたアイデアが、かなりストレートに反映されていったことです。その意味でいうと、自分にとっては珍しく「私」が素直に出ている作品なのかもしれない。特に、執筆に取りかかる直前に東日本大震災が起きて、しばらくの間は大阪に滞在していたのですが、『春』のエピソードはあの混乱期に書かれたものになります。
—— そういう背景も作品の中に表れているのですね。
阿部 具体的にどの部分が、と明言はできませんが、なんらかの形で反映はされていると思います。
—— さまざまな意味でターニングポイントになりそうな作品ですね。
阿部 後年振り返ったときには、そうなっているのかもしれません。連作短編という枠組み自体が初めてでしたし、初期衝動に立ち返る試みという点でも、いろいろと収穫の多い作品になりました。これまで僕の作品を読まれたことのない読者の方々にも、きっと楽しんでいただけるのではないかと期待しております。
—— 本日はお忙しいところ、どうもありがとうございました。

阿部和重 (あべ・かずしげ)
1968年山形県生まれ。1994年『アメリカの夜』で第37回群像新人文学賞を受賞しデビュー。その後、『無情の世界』で第21回野間文芸新人賞、『シンセミア』で第15回伊藤整文学賞・第58回毎日出版文化賞をダブル受賞、『グランド・フィナーレ』で第132回芥川賞、『ピストルズ』で第46回谷崎潤一郎賞を受賞。近作に『クエーサーと13番目の柱』がある。5月8日にリトルモアより新刊『□』(しかく)を刊行。
写真
キベ ジュンイチロウ
1982年生まれ。福岡県出身。大学新聞部での取材をきっかけに写真を始める。在学中から、フリーランスとして仕事をはじめ、大学卒業後はベンチャー企業に5年間勤務。2011年、独立してフリーランスに。得意な被写体は「人」。http://www.kibenjer.net/
視覚、死角、刺客、詞客、始覚、四角……。あらゆる「しかく」が襲いかかる地獄の四面楚歌!
4つの季節で描く、作家初のホラーサスペンス!
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http://abekazushige.cork.mu