今回のテーマは「外に出るのは面倒だが、ずっと家にいるのは嫌」だ。
外に出ることへの圧倒的面倒くささは理解できる。まず外に出ても大丈夫な服に着替えなければいけない。もしくは服自体を着ることからのスタートだ。そして、もともとの顔のデザインが外に出ていいレベルかどうかは置いといて、少なくともそれを清掃、場合によっては何らかを大量添付する必要もある。
歯も磨かねばならぬだろう。歯というと個人差はあるが、なんと20本ぐらいはある。流しに汚れた食器が20枚重ねてあったら絶望するだろう。歯磨きとはそのぐらいの絶望に対峙する行為だ。だがそれ以前に「聖母の蟻地獄」でおなじみの「オフトゥン」から出なくてはいけない。
面倒だ。
我々は「職質されずに外に出る」ために、これだけの万難を排さないといけない。面倒すぎてオフトゥンの中で休日を終えてしまう気持ちは良くわかる。それに対し「ずっと家にいるのは嫌」は一体何が「嫌」なのか。まず、この「嫌」の正体をつまびらかにしなければいけない。
まず「家に一酸化炭素が充満している」「今まさに燃えている」という理由で家にいるのが「嫌」と言う場合だ。これは出た方がいい。でも上記のような準備が面倒くさいし、と思っているかもしれないが、この場合は特例として身支度は免除されている。最悪服を着ていなくても、お咎めはないだろう。よって、歯とか磨かなくていいから、即刻外に出よう。
このような、命の危険性がある、全部屋の中央で何かが腐っているというような、家自体に「嫌」な要素がなければ、この「嫌」の正体は全て自分の心の問題である。
元々が外出好き、家でじっととしている方が苦痛、という人間なら、外出を面倒と思うこと自体ないはずだ。よって外出を面倒と思う人間は、そもそも外出が好きではない。または家が好きなのだ。
つまり、外出が好きでなく家が好きにも関わらず、それを「なんか嫌」と漠然と感じている者は休日を「自分の好きなことをする日」ではなく「外に出てなんかしなきゃいけない日」と勘違いしているのではないか。家にずっといるのが嫌なのではない。自分の中にある「正しい休日像」に反している自分が何か嫌なのである。
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