07 デカルトは自分のなかを「旅する」
過去の時代の人々と交わるのは、旅をするのと同じようなものだ。 ―『方法序説』第一部
旅行とは「世界という大きな書物」を読み解くようなもの
パリ左岸のモンパルナス駅から、フランス国鉄の超高速鉄道TGVに乗って一時間もすると、自動車やオートバイの二十四時間耐久レースで有名なル・マンに着きます。そこからさらにバスに揺られて半時間もすると、ラ・フレーシュという小さな街、若き日のデカルトが徹底した英才教育を受けた学校のあったところに着きます。
彼はそこで、文字通り読書に熱中しました。授業で取り上げられたり、教師に勧められたりした本だけでなく、彼の目からすればちょっと怪しい本まで読んだようです。占星術とか錬金術、手相術や光学的魔術に関する本です。占星術や手相術ならまだしも魔術なんて聞くとちょっと驚かれるかもしれません。しかしデカルトは『方法序説』のなかで、「手に入ったものはすべて読破した」と述べていますから、彼の興味関心はとどまるところを知らなかったのでしょう。
そのような読書家デカルトは、次のように述べています。
「良書を読むことはいずれの場合も、著者である過去の時代の一流の人々と親しく語り合うようなものだ」
これは、一冊でも素晴らしい本との出合いを経験したことがある人なら、諸手を挙げて賛同したくなる発言ではないでしょうか。なるほどそのような本を読んでいる時、たとえ街中のちょっと騒がしい喫茶店のなかでも、著者と私の親密な会話を邪魔するものは何一つありません。
しかも、私だけに語りかけてくれる著者は、出し惜しみをいっさいしない。
「その会話は、著者の思想の最も良質なところだけを見せてくれる―それほど入念に準備されたものなのだ」
なんとも有り難い話です。そこで、ちょっと立ち止まって考えてみましょう。このような「会話」は、どのような効果を私たちにもたらしてくれるから貴重なのでしょうか。
この問いを考えるための手がかりは、いささか唐突ですが、旅行とは「世界という大きな書物」を読み解くようなものだ、というデカルトの比喩にあります。「読書としての旅行」です。これはいったい何を意味しているのでしょうか。ラ・フレーシュの学校を卒業してからヨーロッパの津々浦々を渡り歩いたデカルト、「あちらこちらの宮廷や軍隊を見て、さまざまな気質や身分の人々を訪れた」デカルト、そのような彼の旅行観をちょっと探ってみましょう。
異文化に触れたカルチャーショックで始まる「自己内対話」
彼によると、旅行は余興や休暇などではありません。そのようなことを言われるとちょっと面食らってしまうかもしれませんが、旅行とは何よりも「学び」のための大事な機会でした。
少し考えてみてください―私たちは、まったく見知らぬ土地を訪れたら、孤独感や違和感に襲われるはず。言葉はうまく通じないし、食事もなかなか合わない。そうすると、この孤独感や違和感をきっかけとして、その土地の習俗や人々の習慣について自分はどのように思っているのか、好きなのか嫌いなのか、などと考え始めます。
たとえば、ドイツでは夜に「カルテスエッセン」というものを食べることが多いと聞きます。日本語に訳すなら「冷たい料理」。つまり、ハムやサラミなど火を使わない軽食のことです。
私の知り合いの日本人に、ドイツ北部のハンブルクで仕事をしている人がいます。ヨーロッパでも有数の港町ですが、冬は大変に厳しい。その彼が言うには、「最初はカルテスエッセンに慣れなくてね。冬は極寒だし、仕事が終わって疲れたら、温かいお風呂に浸かってほっこりするように、温かい料理を食べたいのに、どうしても冷たいものが出てくる……最初は辛かった」、と。
なるほど、ドイツの人々がカルテスエッセンで軽く済ませるのには、それなりの理由があります。昼にしっかり食べるから、とか、夜は寝るだけだから満腹は避けたほうが健康にいいから、とか。
しかし、誰しも自分とは違う食習慣に接すれば「カルチャーショック」を受けてしまう。この私もそうでした―兎、鳩、蛙、さらには蝸牛に八目鰻……いずれもフランスではさほど珍しくない食材です(実を言えば八目鰻の漁はとりわけ北海道の石狩川で盛んですから、フランスに行かなくても、日本にいながらにして食すことはできますが)。なるほど、それぞれに旨味があることは確かです。それでも初めて食卓に運ばれてきた時は驚いてしまったこともまた確かなのです。
ただしここで急いで付け加えておきたいのは、カルチャーショックとは、異文化に単に衝撃を受けることではなく、異文化に衝撃を受けている自分に衝撃を受けることだ、ということです。この違いには注意したいと思います。カルチャーショックが現実に自分のうちに生じている時、「自己内対話」がすでに始まっている、というところがポイントなのです。
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