透明人間とおままごと

エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これは「ぼく」が、ものや人を通じて、「生」を組み立てていくものがたり、 のようなエッセイ、のようなもの。

透明になりたいと願いながらバイトを続ける「ぼく」。 ある日、オーナーの買い付けに同行した先で、ひとりの女の子と出合います。

 2時間ほどかけてつづらの中身を査定しおえると、外はすっかり黄昏時になっていた。蔵のなかにいるあいだ、鍼からぶら下がった、ほとんど裸電球といっていいライトのうそっぽい光のしたにいたぼくは、ぞっとするような夕焼けの色に思わず息を飲んだ。まるで宇宙船から出てきて、いきなり終わりゆく地球をながめているみたいな。

 異星人のぼくには、山の向こうへ落ちていこうとする夕日が、振り絞るような光を街に投げていることも、そのしたで人々がせっせと夜を越える支度をしていることも、すべてがとおく、他人事に感じられる。

 ぼくも星に帰らなくてはいけない。


「遅くなってすみません、査定が終わりましたので、ぜひ蔵のほうへ」

 玄関のチャイムを押しても反応がなかったので、開け放たれた縁側から出来るだけおおきな声でさけぶと、さっきの女の人とは雰囲気のちがう、でも顔のそっくりな女の人が、パタパタとスリッパを鳴らして出てきた。そのうしろには、ちびのシーズー犬がぴたりとついている。

「あらあら、娘はちょっと急用で出ちゃったので、私が見せてもらうんでもいいかしら?」

「ワン!」

 どうやら、さっきの女の人の母親らしかった。あまりおばあさんって感じがしないけれど、髪の巻き方が70年代で止まっている気もする。

 ぼくはこういうときのために、あらかじめ用意してあるテキストを頭のなかから引っ張りだした。

「売っていただけるものと、そうでないものの判断が、ご家族のみなさんで一致しているのであれば大丈夫です」


「ワン!」

「なら平気。だってあのつづら、みんな邪魔で邪魔で仕方ないんだもの。こないだなんて、うちの人が移動させようとして、ひざを悪くしちゃってね。まったくいまいましいったらありゃしない。じゃあ、玄関のほうから参りますわ」

 そう言って、おばあさんはパタパタと廊下を走っていった。ちびのシーズー犬も、あずきが転がっていくような足音をたてながら、きちんとそのあとに着いていく。

 ぼくも急いで玄関に回ろうとしてふと見ると、縁側のはしっこに、プラスチックでできたハンバーグとトマト、そして包丁がならべられているのに気がついた。木造りのふるいお屋敷と、ごうごうと燃えさかる夕日なかで、そのいくつかの塊はとても異質なものに見えた。思わず近づいて手にとってみると、やけにしっくりくる。

 あたりまえだ。ぼくも子どものころ、おんなじやつで遊んでいたんだから。

 わすれもしない3歳のころ、ピアノの発表会のご褒美で買ってもらって、車庫の前のわずかな段差をお店やさんに見立てて、通りを行く人々にトマトを売っていたのだった。ハンバーグを売っていたのだった。りんごやメロン、桃にクロワッサンを売っていたのだった。思い返すと、あればぼくの子ども時代において、あるいは人生において、ゆいいつ無邪気でいられた期間かもしれない。いまはもう、ぼくはだれにもハンバーグを売りつけないし、りんごだって渡せない。きらわれたくないからだ。

 さっきの女の子が遊んでいたんだろうか、とあたりを見渡すと、縁側をあがったところにある部屋の障子の向こうから、ぼくを睨みつけるちいさな栗色の目があった。

「勝手にさわってごめんね。ここでおままごとしてたの?」

 ほんとは子どもなんて苦手なくせに、いかにも小慣れた感じで声をかけると、女の子はしぶしぶといったふうに障子の影から出てきて答えた。

「してた。いつもしてる」

「いいね。ぼくもおままごと大すきなんだ」

 ぼくは、あまりにも自然にそう口にしていた。普段なら、子どもにはとくに警戒していて、好きなもののことなんて簡単に口にしたりはしないのに。

 女の子は、まるで下品なものでも見るみたいに顔をしかめた。

「おとなの、おとこなのに? うそつき」

 子どもってみんなカラス人間だ。

 だけどぼくは、びっくりなんてしてやらない。

「うそじゃないよ。でもおとなの、おとこだから、もうだれもいっしょに遊んでくれないんだ。すごくさみしいよ」

 なんとなく言ってみただけだったのに、ぼくはそれが、ぼく自身の、ものすごい真実であるように思えてならなかった。これ以上会話をつづけたら、恐竜みたいな声で泣いてしまいそうだ。

 すると女の子が言った。

「じゃあいま、ここであそべば」

 ぼくは、もうじき星へ帰る宇宙人であるというのに、おまけに労働中の身だというのに、女の子の誘いに嬉々として食いついてしまった。

「え、いいの?」

「どっちがおきゃくさんする?」

 つんけんした言い方だったけれど、女の子はさっきとは全然ちがう、いくぶんか親しみのこもった表情になっていた。子どもはみんなカラス人間だけれど、正確には彼らは、ただほんとのことを知りたいだけなのかもしれない。この子はいま、ぼくのほんとを見抜いてくれたのかもしれない。

「どっちもやりたいなあ。順番にどっちもやろうよ」

「いいよ。あたしもどっちもやりたいから」

 ぼくはわーい、と飛び上がろうとして、はたと気がついた。

「でも、仕事をしないといけないんだった」

 女の子は間髪いれずに言った。

「でもさあ、トマトもあるよ。メロンもあるよ。ばあばがぜーんぶ買ってくれた」

 キャベツみたいに明るいグリーンの、マジックテープでまっぷたつになるプラスチックのメロンが目に浮かぶようだった。ぼくも持ってた。いつも持ち歩いていた。宝物だった。

「わかったよ。じゃあもし、ぼくがオーナーに怒られたら味方してね」

「うん。いいよ」


 ぼくはほんとにいいんだろうか、と蔵のほうを振り返りながら(いいわけない)、縁側からお屋敷にあがった。畳張りのおおきな仏間を抜けて廊下に出ると、窓の向こうの茂みにこぶりな鳥居が見えた。めずらしい、屋敷神ってやつだろうか。

「おいなりさんだよ。ばあばと毎日おまいりしてる。おいなりさんしってる?」

「しってるよ。かわいいよね」

「うん、かわいい」

 廊下をしばらく歩くと、居間にたどり着いた。やはり畳張りで、灯油ストーブ特有の匂いが、冬の残像みたく部屋にこもっている。まんなかに置かれた掘りごたつには、おそらくぼくとオーナーのために用意してくれたであろうお菓子の盛り合わせと、食べかけのみかんが転がっていた。

「ばあば、みかんたべっぱなし」

 たぶんぼくが声をかけたせいだ。薄皮をひん剥かれたまま放置された実は、乾いた皮のうえで、だまし討ちにあったみたいにキョトンとしていた。

 ままごとセットの入ったカゴは、嫌味みたいにおおきな黒いテレビの前に置かれていた。ぼくがそれを持ち、女の子は傍に置いてあったレジスターのおもちゃと犬のぬいぐるみを持った。

「そうだ、きみ名前はなんていうの?」

 ふたたび縁側へと歩きだしながらたずねると、女の子はわざわざぼくのほうを振り向いて、いかにも誇らしそうに、ゆっくりとまばたきをしながら答えた。

「ひめぎみ」

「へえ、すてきな名前だね」

「おじさんは?」

 ぼくは、え!!!?おじさんですって!??!!?とひっくり返って尻餅をつきそうになりながら、しずかに答えた。

「……裕一郎だよ」

「ふうん。むかしみたい」


 縁側に戻ると、空はまだ茜色のままだった。とっくに薄暗くなっている気がしていたぼくは、ぶきみな明るさをたたえたままの空が、神さまの与えてくれた、とくべつな時間の空白に思えてならなかった。

 ふたりで縁側いっぱいにたべものを並べ、最後にレジスターとキッチンを置くと、縁側は世にも素敵なお店やさんに生まれ変わった。トマトと野菜とケーキ、それにハンバーガーやぬいぐるみまで売っている、スーパーマーケットなんてつまらないことは言いたくない、ぼくたちだけの、世界にたったひとつのお店やさんだ。よく見るとダンゴムシがうろうろしていた、ぼくんちの車庫の段差とはぜんぜんちがう。

 ぼくたちは、店員さん役とお客さん役を交互にやりあいながら、夢中でおままごとに没頭した。どういう内容だったかは思い出せない。背中に汗がにじんで、時間がどんどん加速していくように感じられるくらい、すばらしい時間だった。

 もちろん、同じままごとセットで同じように遊んでいても、3歳だったぼくはどこにもいない。無邪気だったぼくもいない。ふるい名前のおじさんだけが、いまここにいるだけだ。かなしいくらい、それはわかっている。

 けれど、まちがいなくぼくはあの頃の自分に出会っていたのだ。ぴたりと静止した夕焼け空のしたで、たったの3歳になることを許されていた。そして、ぎこちなくオレンジのライトがひかるだけのキッチンを、まがいもののお金を、プラスチックのたべもののすべてを愛していた。


 一息ついたときには、空はすっかり暗くなっていた。それに気がついたとたん、さんざん泳いでプールからあがったときみたいに、心地よい疲れがどっと押し寄せてきた。

「もうおわり?」

 女の子がぼんやりしているぼくを見て、不満そうに言った。

「ううん、あんまりたのしくてぼーっとしちゃっただけ」

「わたしおみせやさんごっこすき」

「ぼくも」

 ふと蔵のほうを見ると、シーズー犬が入り口の前でちょこんとお座りをしていた。どうやらオーナーとおばあさんがまだなかにいるようだった。

「ちょっと休憩して、蔵のほうを見に行ってみない?」

 そう提案すると、女の子はレジスターを膝に乗せて、ピンクのバーコードリーダーを耳にあてた。

「ピピーッ、はいもしもし、おひなさまですか。はい、はい、ハンバーガーですね。ちょっとまっててください」

 ぼくが呆気にとられていると、女の子はつづけて言った。

「おひなさまがハンバーガーくださいだって。とどけなくちゃ」


 手をつないで蔵のなかへ入っていくと、オーナーがおばあさんに向かって、ひとつひとつの商品と買取金額を説明しているところだった。オーナーはすっかりぼくのことなんて忘れていたみたいに「おう」とだけ言うと、ふたたび説明にもどった。

「こちらが、お爺様が戦時中に残された日誌です。きわめてプライベートなものですので、現時点でこまかく確認することはしませんが、一応骨董としての価値はつきます」

「あら、なんでも集めてるひとがいるのねえ」

 おばあさんはびっくりしたように言いながら、日誌をパラパラとめくった。はじめは関心なさげだったけれど、細かな文字でびっしりと埋め尽くされたページを見ていたら、なにか思うところがあったようだった。

「祖父の記憶って、ふしぎとあんまりないのよ。喋らないひとだっていうくらい。だから、あの人が兵隊さんだったってことも、ぴんとこなかったの。だまって行って、だまって殺して、だまって帰ってきたのかしら、なんてみんな笑ってたくらい。でも、ほんとはこんなに言いたいことがあったのね。そうだったのね。わたしこれ、取っておこうかしら。たぶん読まないだろうけど」

「それがいいかと思います」

 ふつうの商売人だったら残念がるところだけれど、オーナーはどこかほっとしているようだった。

「あらひめちゃん、お兄さんに遊んでもらっていたの」

 おばあさんは、ようやくぼくたちに気がついたみたいに、こちらを振り返って言った。

「おじさんじゃなくて、ひめがあそんでって言ったんだよ」

「あらまあ、よかったわねえ。すみません、女の子のあそびなんて付き合わせちゃって。迷惑だったでしょう」

 おばあさんは急にぼくの方を見て言った。

「え、あの……いえ……」

 ぼくは必要以上に動揺してしまった。オーナーはニヤニヤと意味深な笑みを浮かべている。

「じゃあね。ひめたち、おとどけものあるから」

 女の子はきっぱりとそう言うと、ぼくの手をひっぱってずんずんと蔵の奥へ進んでいった。外では豆腐売りのラッパに反応したシーズー犬が吠えている。

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ぼくは本当にいるのさ

少年アヤ

痛みと共に捨て去った、ひかりをぼくは取り戻す―― エッセイストとして、これまで自身の過去やセクシャリティと向き合ってきた 少年アヤさん。そんな彼がなにもかも捨て、書く仕事すらやめ、骨董品屋で働いていた日々の記録を始めます。 これ...もっと読む

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sumi_reves 日曜の穏やかな夕方も相まってオアシスのように何かが満ちていくお話だった。必要な人に必要な文字と情景が湧き出て与えてくれる泉の門番のような少年アヤさん https://t.co/uKhTrl5HJH 2年弱前 replyretweetfavorite

takfzy この一節にもある音や光景の描写が凄い… ちびのシーズー犬も、あずきが転がっていくような足音をたてながら、きちんとそのあとに着いていく。 2年弱前 replyretweetfavorite

jyokondo あーもうアヤちゃんはさあ、毎回どういう文章センス! 2年弱前 replyretweetfavorite

margin09 少年アヤ まるで自分の記憶にタイムスリップしたような気分でいる。私の記憶ではないという事に、どうも心がついていけない。小さい頃に肯定してくれる大人がいてくれたら… https://t.co/ygInxmgb2N 2年弱前 replyretweetfavorite