〝1日30食だけ出すおいしい蕎麦屋〟として、52歳で始めた「ひとりビジネス」

47歳のときに単身渡米し、10代の頃から夢見ていたジャズピアニストとして本場アメリカでデビューを果たした大江千里さん。個人レーベルを立ち上げ、日本で活躍していた頃とは大きく環境が変化したそうです。一時帰国した大江千里さんに、ニューヨーク生活とジャズへの想いをうかがった、『ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』刊行記念対談の後編です。
弁護士から会社の登記が入った重たい封筒を手渡しで貰う。背筋がピンと伸びた。
(「ひとりビジネスのルール」)


加藤貞顕(以下、加藤)
 『ブルックリンでジャズを耕す』は大江さんのアメリカ・ジャズ奮闘記であるとともに、「ひとりビジネス」を立ち上げて経営に乗り出す話もたっぷり書かれていますね。

大江千里(以下、大江) 僕は23歳でデビューする前から、事務所もレーベルもずっとソニーでした。気づけば仕事のチームもずいぶん大きくなっていました。それをスパッとやめてアメリカに行き、音大を卒業し「ひとりビジネス」を始めることにしました。
 文字通りひとりで、社長は僕で社員も僕。その大きさでできることをやろうと決めた。「1日30食だけ出すおいしい蕎麦屋」のようなコンセプトでいこうと思ったんです。

加藤 スタジアム公演だ、オリコン1位だといったポップス時代の活動規模からすると、ずいぶん極端なところまでいきましたね。

大江 規模が大きくなっていた頃は、体力的にも精神的にもなかなかきついことが多かったんですよ。だって夜にテレビ局で歌って、終わったら生でオールナイトニッポン、そのあと『週刊プレイボーイ』の連載が締め切りだから書いて、ようやく寝るのが朝の7時くらい。次の予定は11時から入っていて、というようなスケジュールでしたもの。
 ドーパミンが出てハイパーな気分のまま走っているから、その時はなんとかなるんですけど、どこかで歯車が噛み合わなくなると、そりゃ自分の身体と心が悲鳴を上げてしまいますよね。でも、自分の活動にたくさんの人が関わっているのもよくわかっているので、止まるに止まれないという状況だった。
 それに対して、ひとりでやるおもしろさというのは、立ち止まりたくなったらいきなり今日から3日間休業ですと言えてしまうところ。これはいいな!と痛感しました。

加藤 事務作業などもすべて自分でやるんですか?

大江 はい。インターネットを通じて注文いただいたCDやグッズの入金確認から梱包、発送まで、すべて自分ですよ。ひとつ荷造りするのに15分くらいはかかるからたいへんで。

加藤 ご自身でそこまでやってるんですか! それにしてもひとつの荷造りに15分はずいぶん丁寧ですね。

大江 手紙を添えたりするからかな。サインだけ書いて終わればいいのに、ついイラストも入れてみたり、相手の名前も書き込んだりしてしまう。宛名はPCで打ち出したラベルを貼るんですけど、記述は英語なんですよね。だから読み方をまちがうとまずいので、Googleで検索して確認したりしてます。念のため、英語の宛名の横に日本語の住所も書いています。できるかぎりのことをして、事故を最小限に抑えたいと思って。

PNDはインディーズだ。僕自身がホームページから購入してくれた世界中の人に直接CDを送る。
(「デイ・バイ・デイ」)

この続きは有料会員登録をすると
読むことができます。
cakes会員の方はここからログイン

1週間無料のお試し購読する

cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。

人気の連載

おすすめ記事

ケイクス

この連載について

初回を読む
ブルックリンでジャズを耕す 52歳から始めるひとりビジネス』刊行記念対談

大江千里

シンガー・ソングライターとして長年脚光を浴びてきた大江千里さんは、47歳のとき単身渡米。音楽大学に通ったのち、ニューヨークを拠点に活動するジャズピアニストへと鮮やかに転身しました。その道のりをつづったnoteでの連載「senri ga...もっと読む

関連記事

関連キーワード

コメント