僕は、この年で子供もいないし、そうなるとFacebook をみるのが正直辛くなる。嫉妬もする。正直、ここ数ヶ月はブルーな日が続いた。
独りは自由だ。いくつかの事業をやり、本を書き、東大で学び、高校や大学で教え、最高のシーズンのフィンランドで最高のデザインスクールにいる。でもそれは責任がない独り者だからできること。社会的責任がないからだ。モラトリアムにすぎない。誰も何も言わないけどそこにはどこかいつもコンプレックスが残る。
そんな中、ここアールト大学デザインスクールでは、最終のプレゼンテーションに向けて、チームの議論はヒートアップしていた。テーマは2040年のユートピアの社会システムデザインを作ること。
2040年のフィクションストーリーを作り、同時に分析やエビデンスも添える。右脳と左脳と同時に使い、国籍多様で、プライドも実績もあるメンバーとコワークしなければならない。正直、しんどい。
僕は、いつも争いを避けてきたけれど、なぜか今日はガチンコのディベートをした。それはどうしても譲れないポイントがあったからだ。
僕が考えた物語はこうだ。少し長いがかいつまむ。
2035年。お金も教育もない若者達は、数も少なく政治でも発言力がない。八方ふさがりだ。一方、老人はお金もあり、たくさんの若者にケアされているが、その心は孤独である。
そんな中、ある勇気ある若者は、小さなビルの看板をみつける。そこには時間銀行と書いてある。そこで、若者は、未来の時間を五年後から五年間差し出す代わりに一億円を得る契約を交わす。同じ頃、孤独な老人もこの小さなビルに入ってゆく。看板には別の名前があり、幸福銀行と書いてある。老人はどうすれば幸せになれるかと相談する。幸福銀行は老人にお金をすべて預けるように諭す。ただそれだけだが、老人はやむなく承知する。
さて、若者はお金を元手に大学に行き、技術を得て新しいヘルスケアシステムを発明し、成功する。まとまったお金が彼にイノベーションをもたらしたのだ。
一方、幸福銀行にすべてのお金を預けた老人は、やむなくケアするスタッフを解雇して、自分で身の回りのことを始める。老人は元気になり、やがて村に出て行き友人を作り、交流をもつことになる。老人はいつしか幸福を手にしたことを知る。若者の発明した製品で老人は健康も維持することができるようになった。
5年後、若者は時間銀行に行き、約束どおり自分のこれから5年間を差し出すと言う。すると時間銀行は、五年間分の時間を君の今持っているお金で買い取ればよいと伝える。時間でお金を買えるとともに、この銀行はお金を時間に換えることもできたのだ。そして幸福なことに、その頃には、若者の発明によって人々は長寿となり、時間の価格は昔よりも安く買えるようになっていたのだった。そこで、若者は持っていたお金で自分が差し出すべき時間を買い取り、残ったお金を時間銀行に預けた。そしてしばらくするとまた新しい若者が時間銀行にやってくる。
こんな感じで物語は終わる。僕はこのフィクションで時間とお金を交換するシステムがうまく作用するという世界観を示した。
しかし、他のメンバーは、このフィクションに賛同しなかった。代わりにもっとリアリティのある案を出してきた。でも僕には、それらはまるでダイナミックでなくつまらなく思えたし、すでに今の社会で出ている政策としてどこかで聞いた話だと思った。でも、まぁ、それでもいいかと思った。所詮、机上のワークショップだ。
でも、彼らのストーリーの中で譲れない点がひとつだけあった。それは既存のシステムから離脱し、若者達がユートピアを別に作ろうとすることだった。僕はそれだけはダメだ、といった。それはヒッピーだ。
まったく新しい第三世界を夢想することだけはだめだ!