スターダムに削られる問題
柴那典(以下、柴) 前回は2017年のアーティスト・オブ・ザ・イヤーという話でしたけれど、やっぱり語っておかなきゃいけないことがあって。前にこの連載でも次のスターになると語っていたリル・ピープがオーバードーズで若くして亡くなってしまった。リル・ピープは2017年を生き延びることができなくて、一方、ポスト・マローンが「ロックスター」で大ブレイクした。
大谷ノブ彦(以下、大谷) そうでしたね。
柴 これって、僕、紙一重の話だと思ってるんです。運や巡り合わせや運命というか。たとえば、これまでも数々のロックスターがオーバードーズで亡くなってきたけど、ミック・ジャガーやキース・リチャーズは若い頃あれだけ危険なところまで行ったのにそれを乗り越えてきたわけで。
リル・ピープが亡くなってしまったのはめちゃめちゃ悲しいし惜しいけれど、僕としてはそういう運命だったと捉えるしかない。
大谷 自分の力や意志とは違う見えない何かというか。自分が選ぶというより、何かが選ぶ、ポップスターの宿命にはそんなものがあるような気がしますね。
柴 あと、やっぱり考えざるを得ないのは「スターダムに削られる」っていう問題で。
大谷 削られる?
柴 アーティストが天下をとってスターになるタイミングってあるじゃないですか。
大谷 大ブレイクするというか。
柴 そうです。コアからよりマスに、広く人気を獲得して、上り詰めていく瞬間です。でも、突如として得た成功にスターは削られてしまう。
大谷 ふむ。
柴 成功を得ると、ファンやメディアや、たくさんの人がスター性を求めて群がってくるわけですよ。そのことで消耗する。たとえばゴール前のサッカー選手みたいに、メディアやファンが当たってきて自分自身が削られる。それを乗り越えないといけない時期になるというか。
大谷 人前に出る職業のひとが成功するときは、必ずその問題にぶつかるでしょうね。
柴 特に、カート・コバーンがそうだったように、マジの人は、それでアイデンティティまで削られてしまう。そこでうまく、自分はある種のクリエイターやパフォーマーとしてスター性を供給しているというメタ視線を持っていれば、いくら削られても自分自身まではすり減らない。俳優の場合なんかはまさにそうです。
大谷 はいはいはい。
柴 でも、自分の生き様そのものを表現として差し出しているアーティストの場合は、自分の心の敏感な部分、大事な部分を削り落としてしまう副作用がある。
大谷 尾崎豊やマイケル・ジャクソンもそんな感じがしますよね。マイケルの場合は、プロデューサーのクインシー・ジョーンズから離れて自分でやりたいようにやるようになってから危うくなっていった気がする。周囲にコントロールする人がいたほうがいいタイプのアーティストもいる。
柴 一方で、矢沢永吉さんは「俺はいいけどYAZAWAがなんて言うかな?」 って感じで、素の自分とスターYAZAWAを分離している。
大谷 僕は、その問題を乗り越える一つの方法って「ライブ」だと思うなあ。
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