いくら同じ芸人とはいえ、さんまさんと自分を重ねるなんて。
さんまさんだけではなく、タモリさん、たけしさん、とんねるずさん、ダウンタウンさん、ウンナンさん、それこそ、さっき深川座で見たホンジャマカさんや笑組さんでもかまわない。
福岡吉本という、東京や大阪から隔離された世界で生きている僕にとって、全国ネットのテレビに出ているような方々は別世界の住人だった。そんな芸人さんと自分を重ねたところで、何の意味があるのだろう? そもそも、そんな図々しい真似はできないし、そんなことは、やっちゃいけない。
それぐらい強固な境界線を、僕は心の中で引いていた。これこそが無意識の内に芽生えてしまう、地方芸人特有のコンプレックスの正体なのだが、しかしそれでも、どうしたって釣り合わないのだから。
ヨソはヨソ。ウチはウチ。
小さい頃から両親に叩き込まれた家訓も生かす形で、僕はこの線引きに何の疑問も抱かなかった。
それなのに、福岡吉本を飛び出した竹山は、もう同じフィールドにいた。あろうことか今の竹山は、さんまさんと自分を並べて考えることに、何の抵抗も感じていないのだ。
さんまさんと竹山の差は、大した問題ではない。
いつか、売れたい。
いつか、ああなりたい。
いつか、世に出てやる。
芸能界で成功したいという、夢物語でしかない大博打に己の人生を賭けているのだから、周りの目なんか気にしている暇はない。どんな苦労があろうとも、どんな手段を講じてでも、絶対にここから這い上がってみせる。
福岡吉本では持ち合わせようのない、そんな芸人としての気概。あるいは、芸人としての矜持。
それを東京で竹山は手に入れている。だからこそ、平気でさんまさんと自分を重ねられるのだ。
言葉にならない焦燥感が、僕の全身を駆け抜ける。やっぱり、こいつは違う。最初から負け戦のつもりで芸人になった僕と竹山とでは、根本的に違うんだ。
福岡で与えられた仕事を必死にこなしているだけの僕に、この何気ない竹山のひと言は深く刺さった。それは大切な意識の塊として、今も心のどこかに焼き付いている。
「で、どうなん? カンニングの調子は?」
「うーん、まだ始めたばかりだからね」
「まだ一年ぐらいやろ?」
「それぐらいかな」
今日の舞台だけで判断すると、東京でカンニングが爆発的にウケているというわけでもなかった。もちろん、新しい相方の中島くんとコンビを組んで間もないのだから、それは仕方のないことだろう。これから少しづつ階段を上っていくしかない。
しかし、福岡吉本とは比べものにならない数の若手芸人を、しかも同世代の東京芸人を目の当たりにしたばかりだった僕は、口にこそしなかったが、カンニングの行く末を心から案じていた。