「仕事がつまらない」は「=つまらない人生」になる
私が仕事をする上で大切にしているのは、嫌なことを一切しないことと、金額。
人は週に5日間、起きている時間のほとんどを仕事をして過ごす。それってつまり、仕事=ほぼ人生ということで、「仕事がつまらない」は「=つまらない人生」になる。そう考えると仕事は、嫌なことだとまずいし楽しくなくちゃ困る。
嫌なことが仕事だとストレスで病気になる。このことは、13歳でモデル事務所に入り、王道のやり方でその道を歩んでいた頃に、何度も病院行きになった経験から思い知った。
スタッフに対して「私、この人のこと嫌いだ……」と感じてしまうとその日のうちに血尿が出て救急車に乗るハメになったし、プレッシャーを感じる撮影が決まると顔中に湿疹が出て(そしてそれが化膿して)撮影どころではなくなったし、テレビのロケで不本意なリアクションを求められると全身にひどい蕁麻疹が出て、しばらく点滴が必要な体になった。
そんな時代を経て、「私はストレスに弱いから、邪道なやり方でゴールを目指してみよう」と決意をした。以来、憂鬱になるような仕事は絶対に引き受けないようにしている。
働いて得たお金が医療費に消えてしまうのだったら、それってタダ働きと変わらない。働いた意味、と思う。プラマイゼロだし、むしろツライ思いをしたり痛い治療をしたり面倒な通院に時間を取られる分、マイナスになる。
私は人よりもストレスが病気化するスピードが速いけれど、ストレスを感じることで体をむしばまれるのは全ての人がそうなのだと思う。そして、なかなか病気化しないで耐えられちゃう人ほど、一気にドーンと大きな病になってしまうように思う。
なので、仕事のオファーをいただいたら、まずその内容が“絶対にストレスにならないものであるか”、そして“楽しそうか、ワクワクするか”という基準で考える。
それから金額を確認する。そして金額には、かなりこだわる。
「やりがいがあるならお金はどうでもいい」とは思わない
なぜなら金額は、ありとあらゆることの目安になる。相手がこちらのことをどういう目で見ているのか、そのプロジェクトがどういうものなのか、どのレベルの仕事を求められているのか、そういう情報が金額には表れている。仮にどんな建前を並べられたとしても、金額を見れば先方の本音がよくわかる。
私への報酬額が高い場合は、そもそもそのプロジェクトには大きめの予算がつけられている。だとするとそれは会社にとって重要なプロジェクトで、それを任せるにふさわしいメンバーが集められている。そういう現場には、本気で働いている人しかいない。携わる人がみんな一流で、クオリティーの高い仕事をする。そういう環境だと、私もクオリティーの高い仕事ができる。
逆に安い場合、その仕事は「まあ、この程度でいいですから」というような大前提のもと、みんながそういうスタンスでやっつけ仕事をしているから、関わってしまうと自分の黒歴史になることがある。安い案件って、二流三流のやり方をする人が起こす事故に巻き込まれたりするから怖い。
手抜きをせずに120%の力を注げる金額だろうか?
自分が手を抜かないでやれる金額なのか? という視点でも、よーく考える。「私、ちゃんと全力で取り組めるかな? そのために必要な条件、整ってるかな?」って。
報酬が高いと「この金額に見合う仕事をしなければ……!」とプレッシャーを感じる。手を尽くさなくてはと思う。その結果「とことんやろう! やれるだけのことをしよう!」というスタンスで取り組める。
逆に安いと、どうしても手を抜いてしまう。まずその仕事だけでは収入が足りないから同時期に他の仕事も受けることになるし、そうなると一つひとつに対してやれることに限度も生まれてしまう。最優先にはできなかったり、後回しになってしまったりする。「金額的に、これ以上の時間を使ったら赤字だ」とも思うから、ある程度のところで「まあ、今回は、これでOKでしょ」みたいな仕事の仕方になる。結果的に、すごく失礼な感じになってしまう。だったら、引き受けないほうがいいよなぁと思う。だから「安い」「それだと私の全力を確保できそうにない」と感じたときは、お断りする。
「私の全力」とは何かというと、たとえば、現在お悩み解決がテーマの小説を連載しているのだけれど、この原稿は自分の頭と向き合うだけでも書こうと思えば書ける。
だけど、よりリアリティーのある描写を目指したり、スラスラと書くために(私の場合、あまり苦戦せずにスラスラと楽に書ける原稿ほど出来がいい) 、編集部から出されたお題に近い悩みを持っている人を探し、話を聞きに行ったりする。友達に連絡をして、アンケートを取ったりインタビューをしたりする。こういうのは、私がその仕事をとことんやりたいがために勝手にやる努力の一種だ。
やるからにはとことんやりたい、と思う。時間も労力も注ぎまくるスタンスで取り組みたい。だけど、それはそのプロジェクトにガッツリと私の時間を買い取ってもらえないとできないことだ。だからいつも「そこまでできる金額だろうか?」と考える。手抜きをせずに120%の力を注げる金額だろうか、と。
納得できない仕事は絶対にやらない
それから、私は「下田美咲」という名前を商品として仕事をしている。だから、「下田美咲」に変な仕事をさせないことも、すっごく大事。それは譲れないことなので、過去には現場で戦ったこともある。
以前、海外の市場で食レポの撮影をしていたときのこと。そこで飲んだスープがあまりにもまずかったので、もちろん「まずい」とは言わないけれど「美味しい」以外の表現をするようにしていたら、ディレクターから「イヤでも、そこは美味しいって言っちゃってよ、とりあえず」と言われた。
私は、
「あなたはこの映像に自分の名前が出ないからいいかもしれないけど、私は顔と名前をさらしていて、それは一生残るんです。まずいものを『美味しい』と言うような食レポはできません。
オンエアを観たファンの人が『美咲ちゃんが美味しいって言ってたから食べてみたい!』と実際に食べに行ってしまう可能性だってあるのに。それで『え、まずいじゃん』となったら、私の言葉は力を失うんです。『平気で嘘つける人なんだな』と思われて、信用も失う。私は一生、下田美咲を背負っていくしかないのに、そんなの困ります。
美味しいというリアクションをすることが絶対なら、本当に美味しいものを探したいです。この食レポ、絶対にこのスープでやらなきゃいけないわけじゃないですよね?」
そう言って、嘘の「美味しい」は断固拒否した。私にとって「この人が美味しいって言っても美味しくない可能性がある」と思われることは、もう二度とテレビに出られないリスクよりも避けたいことだった。(この後、全身に蕁麻疹が出て病院送りとなった。海外の注射は強烈だった)
【次回は12月22日更新予定】