テクノロジーは寂しさを増大させる
前回は、ここ最近、日本人がもっとも恐れているのは「ひとりぼっち」になることなのではないか。そして、孤独や寂しさからお手軽に逃れるために、SNSを利用するのが日常になっていることに、ちょっとした恐さを感じている、というお話をしました。
しかも日本では先日、自殺を望む人たちが続々と殺されるという、ショッキングな事件が世間を騒がせていましたよね。この原稿を書いている最中に聴いていたフランスのラジオでも、ちょうどこの事件が取り上げられているのが耳に入ってきました。
興味深かったのは、そのラジオで注目されていたのが、その事件の「残虐さ」ではなく、「日本は世界的にみても自殺者が多い国である」という点だったことでした。さらに、その自殺の理由は「寂しさ」にあるのではないか、ということも言及されていて、鋭いコメントにドキリとしてしまったのでした。この「寂しさ」って、人と簡単につながるためのテクノロジーが進化すればするほど、増殖する気がします。
そんなことを感じていた矢先、最近観た映画のなかに、「テクノロジー」と「寂しさ」が深く関わっている物語を見ることになり、改めて色々考えさせられることとなりました。
寂しい恋を描いた映画『ブレードランナー 2049』
その映画とは、珍しく日本とフランスほぼ同時に公開された 『ブレードランナー 2049』です。
前回のパリジャン十色で私は、「未来の恋愛ってどんな形になるんだろう?」という疑問がわいてきたのですが、まさにその答えの一例が紹介されていたように思うのです。そして、この映画で描かれていた「近未来の恋の形」に、寂しさを深く刻み付けられることとなりました。
まだこの映画を観ていない人、知らない人には、ちょっとネタバレになってしまいますが、少しだけ内容を紹介します。
舞台は、環境破壊が進んで、人類のほとんどが地球外に移住した未来のロサンゼルス。人口過密状態の大都市では、「レプリカント」と呼ばれる人造人間が、人間のなかに交じって生きています。主人公の「K」という男もまた、自身がレプリカントであり、旧型レプリカントを探し出して処刑する特別捜査官「ブレードランナー」です。
彼が一日の仕事を終えて無機質な部屋に帰ると、AIを搭載したホームオートメーションシステムである「ジョイ」が、女の子の姿をしたホログラフィーとして出迎えてくれます。
ジョイはKの恋人のような存在であり、ペンのような小さな機械のスイッチひとつで現れたり、消えたりします。その姿は、ぷっくりした唇に、うるうるの目、とっても順応性の高いキャラクターで、どんなコスプレ衣装にも瞬時に変化可能。ウェイトレス風の格好になったり、ちょっとスポーティーでセクシーな格好になったりと、女性の私からみても魅力的でカワイイキャラクターで、本物の女性のような魅力に目を奪われます。
ただ、彼女の欠点は映像であるということ。どれだけ彼女に触れたくても、それはできません。しかし、映画の中にはこんなシーンが登場します。