第35回 ジョブズがMacの日本語化を進めた唯ひとつの理由。

ジョブズは、日本のメーカーがマッキントッシュの類似品を出すことに危機感を強めています。マーケティング部の日系アメリカ人、ジェームス・比嘉が漢字化について話します。
「マックも、日本市場であまり後れを取らないうちに漢字化した方がいいんじゃないですか?」
ジョブズが聞き返しました。
「ジェームス、君だったらできるか?」
「技術的なところはわからないですが、マックで日本語がどうあるべきかはわかると思います」
そう答えた比嘉の口元を、ジョブズはじっと見つめたあとに言葉を発しました。
「よし、マックの漢字化のプランを作ってくれ」
この瞬間、それまで一度たりとも動き出すことのなかった、マックの漢字化に初めてゴーサインが出ました。若き創業者の背中を押したのは、アップルジャパン社長の福島の「説得」ではなく、日本の競合の「脅威」でした。

登場人物たち

スティーブ・ジョブズ 言わずと知れた、アップルコンピューターの創業者。1976年に創業し、1980年に株式上場して2億ドルの資産を手にした。その後、自分がスカウトしたジョン・スカリーにアップルコンピューターを追放されるが、1996年にアップルに復帰。iMac, iPod, iPhone などの革新的プロダクトを発表しアップルを時価総額世界一の企業にする。

水島敏雄  東京で「ESDラボラトリー」という小さな会社を営む。マイコンの技術を応用し、分析、測定のための理化学機器の開発を行うために作った会社で、ESDという名称は、 Electronics Systems Development の頭文字をとっている。東レの研究員として働いていた時代から大型コンピュータや技術計算用のミニコンに通じており、マイクロコンピュータの動向には早くから注目していた。ESDは日本初のアップルコンピューターの代理店となる。

『スティーブズ』

曽田敦彦 構造不況の中、業績が芳しくない東レが、「脱繊維」を掲げ新分野として取り組んできたのが磁気素材の分野だった。ソニーのベータマックス用としてはさらに薄地で耐久性のあるテープ素材の開発が必要で、45歳になる曽田はこのプロジェクトの中心として部下に20名以上の研究員を従えている。地味で根気のいる仕事ではあったが、東レがハイテク新素材メーカーへステップアップする上でこのプロジェクトは重要な意味を持っていた。

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林檎の樹の下で -アップルコンピュータジャパン物語- ✕スティーブズ外伝

うめ(小沢高広・妹尾朝子) /斎藤 由多加

ふたりのスティーブ、ジョブズとウォズニアックが設立したアップルコンピューターは、1977年4月、サンフランシスコで開催されたウェストコーストコンピュータフェアに出展した。ジョブズがこだわりにこだわったベージュ色の本体の数が足りないので...もっと読む

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コメント

yusukeEndoh https://t.co/JvNnIoMc06 2年弱前 replyretweetfavorite

keijix55 ジェームス比嘉さんが登場してる… → 2年弱前 replyretweetfavorite

Chi3uki ゼロワン! 2年弱前 replyretweetfavorite

jeienne 遅かったよね日本語化。 イタリアでMacを使ってて、帰る度に何か便利なモノを探し回って、そして無知な店員さんに腹がたった。 それでも色々と浪費させられた。 https://t.co/Sm8oxCw2z8 2年弱前 replyretweetfavorite