取材のはじまり
2009年3月の初め、私は、広島の街を少しギラギラしながら歩いていた。
縁あってフリーのディレクターからNHKにキャリア採用で入局し広島赴任となった私は、初めての「ネタ探し」をしていた。まず担当することになったのはローカルニュースの5分の特集枠。
フリーの頃、懇意にしていたプロデューサーから「広島に赴任するということは原爆でNHKスペシャルを作るということだ」と聞かされていたので、5分とはいえ、そのとっかかりとなる現場を探していた。
しかし、ディレクターには得意、不得意がある。私は資料を読み込み事実を積み上げていくタイプの番組作りが苦手で、人間を描くのが得意だと感じていた。 70年も昔の話を扱うには致命的だったが、ある作戦を練っていた。
「今の核兵器を巡る国際政治の駆け引きを、爆心地近くの小学校の子どもたちの人間模様で描けないか」 強い者がいて、弱い者がいて、その中でさまざまな関係性ができあがるのは、人と人の関係も、国と国の関係も、どこか似ているところがあり、そこから今の核兵器を巡る国際的な駆け引き、パワーバランスや矛盾を浮き彫りにできないかと考えていたのだ。
8月6日が何の日か答えられない若者が増える中で、親しみやすい表現で核兵器の問題を伝えたいと思っていた。
こんな邪な気持ちを隠し、訪ねたのが爆心地にほど近いところにある「基町小学校」だった。
広島市中区基町は、かつて原爆で焼け出された人が建てたバラックが密集し、「原爆スラム」があった地区。火災が頻発したため、原爆スラムの解消を目的に、高層アパートが建設され、住民が移された。時代が変わる中で住民の状況も少しずつ変化しながら、現在5000人ほどが暮らしている。
被爆者も多いが、入居の条件である所得制限なども影響し、中国残留日本人の引き揚げ者やその呼び寄せ家族、在日韓国人・朝鮮人も多い。外国籍の住民の割合や生活保護受給者の割合は、他地域に比べて突出して高くなっている。
そんなさまざまな事情を抱えた子どもたちが多く通っているのが、全校児童150人ほどの基町小学校だった(現在は115人)。
取材を申し込むと校長室に案内され、物腰の柔らかい校長先生が応じてくれた。
小学校の近くに原爆で一度焼けてしまったが後に蘇よみがえったエノキがあって、そのエノキを使った平和学習に力を入れていること。
外国にルーツを持つ子どもが全体のおよそ4割を占めていて、独自に日本語教育も取り入れていること。
日本語を読めない親も多く、配布物などをどう工夫しているかなど、とても興味深い学校の取り組みについて説明を受けた。
しかし、残念ながら、どの取り組みも時期がずれていて、ニュースとして取り上げるには“動き”がなかった。
「また日を改めて出直します」と別れの挨拶を交わし始めた時、校長先生が何かを思い出し、私にこう告げた。
「そういえば、基町にはマザー・テレサがいるんですよ」
家庭の事情で満足に食事が取れない子どもが大勢いて、その子どもたちに無償で食事を振る舞い続けてくれている“ばっちゃん”こと中本忠子さんのことだった。
校長先生は目を細めて柔らかく笑みを浮かべながら「本当に仏様のような人で、この方のお陰で多くの子どもが救われている」と中本さんへの感謝を繰り返し繰り返し述べていた。
はじめての保護観察所
校長先生は「佛圓」という名字だった。
仏の文字が似合う、自身も仏様のような、子どもたちへの愛情の深い先生だったが、その人が勧めてくる人物に、私は自然と興味が湧いた。
紹介された中本さんは、保護司をしているとのことだった。しかし、恥ずかしながら、この時私は、保護司についてほとんど何も知らなかった。
ご存知の方も多いと思うが、ここで少し保護司のことも含め少年事件の処分の流れについて書いておきたい。
「暴行」「万引き」「器物破損」など、法に触れる行為をしてしまった子どもたちは、警察に捕まったあと、多くが家庭裁判所で審判を受ける。成人の場合と大きく異なる点は「罰を与える」という視点ではなく「どうやったら更生できるか」ということに重点が置かれていることだ。
家庭裁判所は子どもたちが非行に走ってしまう背景を読み解き、更生できる環境を考えて処分を下す。 子どもが社会の中で更生できると判断された場合には「保護観察」となることが多く、子どもたちは決められた約束事を守りながら家庭などで生活していくことになる。
このとき、対象の子どもに関わっていくことになるのが保護観察官という国家公務員と無給のボランティアである保護司である。
保護観察官は専門知識を有しているものの、圧倒的に数が少ないため、実際、直接的に子どもたちと関わっていくのは保護司となる。
保護司は保護観察官と相談しながら、その子どもと定期的に会い、交友関係や生活態度、家庭環境など非行に繋つながりそうなことについて把握した上で、指導したり、相談にのったりする。
世界にあまり類を見ない日本独自のシステムだ。
少年院に入るのは、こうした一般社会の中での更生が難しいと判断された場合だ。
この当時の私を含め、多くの人が誤解していると思うのだが、重大な事件を犯したから少年院に入るというよりは、あくまでも更生できる環境が社会にないと判断されたために少年院に入ることもあるということだ。
話はだいぶそれてしまったが、校長先生から紹介された中本さんは保護司をしているとのことで、私は取材をお願いするために、まずは広島の保護観察所に向かった。
ここに中本さんと連携して子どもの更生に当たっている保護観察官がいる。
保護観察所の中に入るのは初めてだった。
照明もどこか抑え気味で、人も見当たらず、ひっそりと緊張感が漂っていた。そんな静かな廊下をおそるおそる進みながら「ここかな?」と、それらしい部署に足を踏み入れ、近くにいた方に「井山さんはどちらに?」とひそひそ声で話しかけた。
すると、豪快な男性が奥のほうからやってきて「よう来てくれた!」と満面の笑みを浮かべ迎えてくれた。
この方が約束を取り付けていた井山保護観察官。定年退職後に再任用されて職務に当たるベテランの保護観察官だった。
会議室のようなところではなく、皆が仕事をしている真ん中にあったオープンなスペースに椅子と机があり、そこで打ち合わせを始めたのだが……、少し調子が狂った。 井山さんが、取材に積極的だったのだ。
「放送日はいつになるんかの?」
「どのくらい取り上げてくれるんか?」
中本さんについて話を聞く前に、話がどんどん進んでいく。
「まだ企画が通っているわけではなくて……」と言える雰囲気ではなかった。
私が面食らってしまったのは、保護司について事前に調べていたからだ。
NHKでは過去に制作された番組やニュースを端末で検索できるようになっているのだが、「保護司」というキーワードで検索をかけたところ驚くほど数が少なかったのだ。原因を探ろうとインターネットで保護司についていろいろと調べてみると、保護司であるということを、あまり大っぴらにしていない人が多いように思えた。
地域の中で活動するため、保護司であることを明らかにしてしまうと、保護司の家を訪ねる人が「犯罪者や非行少年なのではないか?」と疑われる恐れがあるためらしい。
よくよく考えると、その通りである。「取り上げるのは難しいかな」と心の中で少し覚悟を決めていた。
「しかし」である。
井山さんは、言うなれば人知れず金山で採掘し続けてきた坑内員が、待ち望んだトラックを迎えるときのようなテンションだった。ここで言う坑内員は井山保護監察官で、私はトラック、そして“金”が中本さんの活動である。
長年のキャリアで見つけた「人が立ち直るためには何が必要か」の答えを、中本さんに見いだしているようだった。
井山さんは「守秘義務の塊」のような資料を豪快にあさりながら、私の質問に熱心に答えてくれた。
中本さんが担当した件数は200件を超え、その数は、広島はおろか、日本でも類を見ないほどの多さだという。
中本さんを指名する子どもも多く、担当になった保護司も「その少年は中本さんの家に通っている子なので私が引き受けていいのやら?」と、どこもかしこも「中本さん」に行き着いてしまうそうだ。
そんな子どもたちの多くが中本さんを「ばっちゃん」と呼び慕い、立ち直って行くのだという。
最初、井山さんの勢いに押され、戸惑いはしたものの、この嬉しそうな語り口を聞いているうちに「中本さんの取り組みは本物なのだな」と私も自然に腹をくくっていた。
ドキュメンタリーにおいて、ディレクターの仕事の7割は、本物の現場を見つけることだと思っている。本物の現場は、無理をしないから嘘うそっぽくならない。
はじめて出会った少年
中本さんの連絡先を手に入れ電話をしたのだが、実に忙しい人で繋がりにくかった。
西に東に北へ南へ、子どもが捕まったと聞けば警察に行き、お腹が空いたと連絡があれば料理を作り、私はろくに取材をすることなく企画を通し、撮影の日を迎えた。
そう「ぶっつけ本番」というヤツだ。
事前に少しだけ中本さんと話せたのだが「朝ご飯が大事」と力説していたように思う。
それが「子どもを立ち直らせる極意」とは全く思えなかったが、人柄の良さはにじみ出ていた。大事なことは言葉では表せないことも多い。もう現場で「何か」を見つけるしかない。
カメラマンと音声マンと3人で中本さん宅に入り、子どもが来るのを待った。
中本さんの家の玄関のドアは鉄製で重く、誰かがやって来ると「ガチャン」と大きな音がする。
夕方頃、突然部屋に響いたそのドアの音を聞き、我々に緊張が走った。
しかし、ドアを開けた途端テレビカメラを向けられた少年のほうが驚いたかもしれない。
この時やって来たのは、ヒロキという中学校を卒業したばかりの少年だった。
ヒロキの戸惑う姿を察知してか、中本さんが笑いながらヒロキに歩み寄った。
中本「あのね。あのね。NHKの人。こんにちはって」
ヒロキ「こんにちは」
中本「ええ男じゃろ。見ちゃって」
ヒロキ「恥ずかしい」
中本さんは終始笑いながら、ヒロキを私たちに紹介した。
取り繕つくろわない、いつもの中本さんの様子を目にして、ヒロキは一瞬にして安心した表情に変わった。
私はこのやりとりを見て「この人、ただ者じゃないな」と中本さんのすごさを痛感した。