4人は「おめでとう」という祝福の言葉を、木村にかけた。

28年間のSMAPの活動とその思いを、数々の言動から振り返り、幼少期から三十代に至るまでのファンの女性の28年の歴史と共に纏めあげ、「アイドルとは、ファンとは何か」を問い直すアイドルとファンのノンフィクション書籍『SMAPと、とあるファンの物語』。本書を公開する連載、23回目。00年、一人のメンバーがアイドルとしては到達し難く、一人の盛年男性としては当然のライフイベントを迎える。その反応とはーー。

 5人になって以降ずっと絶えなかったSMAP解散説は、この1999年になり、ようやく沈静化を見せる。

 個々に否定するも噂や報道が止むことはなく、最終手段として1998年のコンサートツアー中、SMAPは数年ぶりに全員揃っての記者会見を行っている。

「僕たちはダッシュではなくゆっくりと歩いてここまで来ました。力尽きるまでやっていきたいと思っています」(中居)

 その後もどれだけソロ活動が忙しくなろうと、彼らはアイドルグループ・SMAPの一員であり続けた。

 それぞれがすでに個人でも成立する仕事量を抱えながら、グループの冠番組であるスマスマには毎週丸2日の収録時間を確保し、惜しみなくその力を注ぐ。

 スマスマの通常放送で最も高い33・5%の視聴率を記録したのはこの1999年、ビストロSMAPでゲストの宇多田ヒカルをもてなした7月12日の放送回になる。私が恒例となった夏のライブツアー「SMAP TOUR ʼ99  〝BIRDMAN〟」を札幌で見たのは、それから3週間後のことだが、やはりコンサートでも、SMAPが出てきた瞬間の歓声はかなりすごかった。

 この年のコンサートで特に記憶に残っているのも1曲めの『Fly』で、木村が最初に場内カメラに抜かれた瞬間、客席から飛び出した、その声のボリュームだ。

 はっきり言ってつんざくとかいうレベルじゃない、あれは最大収容・約1万7000人のキャパを埋め尽くした観客による、まるで地鳴りのような狂熱の叫びだった。

 1995年に初めてコンサートに行って以来、年1回のツアーは必ずどこかしらで見るようになっていたが、驚いて思わず出しかけていた声が引っ込んだのは後にも先にもこの一回だけである。

 ちょうどあの解散否定記者会見の時、新聞には会見の内容とともに記者によるこんな文章があった。

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SMAPの28年間の活動と、とあるファンの女性の28年間。決して交わることはなかった。でも、支えられていた。そんな両者の紆余曲折の歩みから見えてくる、アイドルの“意味”。アイドル文化が生み落とした新世代の書き手によるSMAPとそのファンのノンフィクション。

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SMAPとそのファンの物語—あの頃の未来に私たちは立ってはいないけど

乗田綾子

転校を繰り返し、不登校にもなってしまった。思い焦がれた上京は、失敗した。願ったとおりの現実を生きるのは、難しい。だけど――。小学校低学年から30歳に至るまで、とある女性の人生にずっと寄り添っていたのは、親でも彼氏でもなくアイドルだった...もっと読む

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コメント

bear_yoshi 「アイドルグループという形ではあるが、1994~1995年の木村の恋人公言以降、SMAPは全員がプライベートの恋愛に関して隠すようなことはなくなっていた。」 3年弱前 replyretweetfavorite

24_dance なにこれ泣いちゃう 3年弱前 replyretweetfavorite

azumakanako 4人、木村、というキーワードだけで、SMAPの話をしているのがわかる。考えてみたらすごいタイトルだな #タイトル職人 >> 3年弱前 replyretweetfavorite

drifter_2181 「 #SMAP #ホンネテレビ 3年弱前 replyretweetfavorite