意識を鮮明にしたままでいるのがいやでいやでたまらない。家でじっと休んでいても、外をうろうろと徘徊していても、どこもかしこも死臭のようなものが漂っていて、まるで世界中が墓場になってしまったようだ。夕方になるころには、もう今日という一日を終了させることしか念頭になくなっており、眠剤を飲んで、アルコール飲料を飲んで、九時か十時には寝入ってしまう。そのまま永遠に夜が続くのなら少しは気持が落ち着いたままでいられるのだろうけれども、朝は必ず訪れて、そして僕は目を覚ます。意識が鮮明になると、そこには、逃げ出すことの出来ない退屈でみじめな世界があって、うんざりとする。
僕は、他の一切に対して意欲を失って、ただネットの日記だけを書き続けている。もっとも、僕が書いているのはもはや日記と呼べるようなものではないのだけれども。
僕の日常には書くべき素材というものがなく、強いて言えば書くという行為そのものしか残っていない。そうなると、僕は文章を書く自分を書くほかなくなり、そして、それを繰り返しているうちに、書くという行為をしながらにして同時にそれを書くという、全く新しい文章作成術を発明してしまったのである。これによって僕は永遠に内容の存在しない文章を書き続けることが出来る、あまりにも純粋なネット日記書きになってしまった。
ここは都心から少し離れた場所だし、同居人がいるわけでもないから、誰も訪ねることはない。思えば、はじめてサイトを立ち上げたのも、こんな寒々しい部屋でのことであったなあ。それから二年が過ぎたわけだけれども、アハハ、結局同じところへ戻って来てしまったのだね。ただ一つ違うのは、昔の部屋にあったドアは世界に通じる出口であったけれども、この部屋のドアはここに来るのに使った入り口であって、出て行くドアは存在しない。
真赤はここにはあまりやって来ない。原宿のマンションでT川君に教わりながら大学入学資格検定のための勉強をしているらしい。僕が一人暮らしの部屋に男を入れないでくれと言うと、いやそうにする。たまに遊びに行くと「私の方からも、そっちの家に行かないといけないんだよね」と言って、いやそうにする。僕が終電を逃して歩いて帰るときなどに暇つぶしに電話などをかけると、いやそうにする。腹が立って、じゃあもう別れると脅すと「絶対に私が別れないと思ってるから、そんなこと言うんだよね」と、冷静に返す。離れて暮らすようになって、憑きもののようなものが落ちたのかもしれない。
彼女は今自分のサイトの更新は停止していたが、オフ会には積極的に参加しているらしい。先日は、都内で一人暮らしをしている男のところに泊まったという事実が明らかになったが、本人は何もなかったと言い張っていた。僕はそれを信じていない。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。