信長が光秀を重宝する理由

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎(かねがさき)の戦い(1570年)。徳川軍は、信長たっての頼みで織田軍とともに京都に留まっていた。しかし、いつまでたっても信長から出陣先が告げられない。具体的な指示がないままひとまず琵琶湖西岸を北上することになった。


「次は、徳川様の番にございまする。ひとつ、つつみかくさず」

「わからぬことをたずねるのでもよいか」

「御意」

「そこもとは、なにゆえ東美濃の土豪から朝倉義景、一乗院覚慶、そして足利将軍と信長殿の二君づかえと渡り歩いておる」

「おかしいですかな」

「あまり例を聞かぬな」

「天下をとるために候」

「信長殿が聞いたら、たちまち謀反を疑われそうな物言いだな」

「あと二十年—いや、あと十年早く織田についておれば、あるいは謀反のくわだてと思われもいたしましょうが、この歳ならば、信長様を押し上げたほうが話が早い。花には咲きどきがある。拙者は咲きそびれ申しました」

「そこまでして、なぜ天下をとりたい?」

 意表を突かれた表情で、光秀はたずねた。

「家康様は、とりたくないのでありましょうや?」

「あんなもの、とってどうするのだ」

 家康の脳裏には先日来のすさみきった京の街並がある。

「明日を望んで生きる博打(ばくち)には飽きた。手堅く今日を生き延びるほうがいい」

 家康の言葉に、明智光秀は啞然とした。

「本心は、奈辺にありましょうか」

「これが、本心だ。三河徳川の場所をかんがえろ。大井川をはさんで武田信玄とにらみ合っとるのだぞ」

 甲斐の武田徳栄軒信玄は出来星大名ではない。源平の時代から続く名門なのだが、この当時からすでに声望が京にもひびいていた。

「信玄の戦いかたは多彩をきわめとる。約定を平気で破るかと思えば妙に固いときもあり、間者(かんじゃ)をおくりこんで諜報にいそしむかとおもえば、大井川を渡って正面から襲ってくるやも知れぬ。一国半を守るだけでもひいこら言ってるのに、天下なんぞ、わしの手にあまるわい」

 とはいうものの、

 —光秀に理解できるのだろうか

 そんな気持ちがある。

「もちろん、天下を—日本ぜんぶを手中におさめる夢は、寝ているときには見ることもある。しかし、夢を見ることと、夢をかなえることとは手立てがちがう」

 —光秀に誤解されたままでは、まずい

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この連載について

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金ケ崎の四人 ー信長、秀吉、光秀、家康ー

鈴木輝一郎

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。 信長(37)部下全員置き去りで逃亡。 秀吉(34)殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。 ...もっと読む

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marekingu #スマートニュース 約3年前 replyretweetfavorite