ニッポンの温泉には様々な効能があるが、残念ながら万能ではない。
温泉に行っても彼の鎖骨周辺のしこりは変化せず、さらに顎の右下に大きなしこりが発生した。
「小森谷さん、まじヤバいっすよ、それ」
「そうかな?」
さすがにそろそろ病院に行かねば、と考えた彼は、近所の病院へ向かった。大した病気ではないと思っていた。
年始の病院は、風邪やインフルエンザの患者でごったがえしている。
感染症かもしれないということだったが、詳しいことはわからなかった。
精密検査を勧められた彼は、京都市内の赤十字病院に向かう。感染症を扱う内科に行ったが何もわからず、耳鼻科や呼吸器系の内科を回ったけど何もわからなかった。
最後に血液系の内科に行った。
「血液検査をして、それからCTスキャンを撮ります。あとは病変部位の一部を切り取って、病理検査をします」
彼が驚くようなことを、医師はさらりと言った。
お薬出しときますねー、というような感じを想像していたのだが、今から精密検査が始まるらしい。
血液を抜き、巨大なドーナツの穴のような機械をくぐり、病変を切り取る手術をした。検査の結果は三週間後にでるらしい。
病院に行った日くらい大人しくしていればいいのに、彼はそのまま劇場に向かった。仕事は休みをとっていたのだが、その日の客入りが気になっていた。
他人から見れば明らかに深刻な状況だったのかもしれないが、彼はまだ心のどこかで、もう一回温泉に入れば治るんじゃないか、と思っていた。
その後、温泉に日帰りで行ったが、ニッポンの温泉は万能ではないため、何も改善されなかった。
検査結果を待つ短い間にも、しこりは大きくなっていく。
「小森谷さん、首曲がってますよ」
劇場スタッフから指摘されたとき、やっと少し、焦るような気持ちになった。
彼はここまできて初めて、自分で調べてみよう、と思い至った。
首、鎖骨、しこり、などというキーワードを打ち込み、インターネットで検索してみる。
ふむふむ、と該当ページの文字を追うと、いくつかの病気が考えられた。
例えばウィルス感染かもしれないけど、その症状にしては、自分のしこりは大きすぎる。あとは悪性リンパ腫とも考えられる。
だとしたら、症状はぴたりと当てはまるけれど、まさか……まさかそんなに重い病気ではないだろう……。
悪性リンパ腫というのは、つまり血液のがんのことだ。
リンパ系の組織から、悪性腫瘍が発生する状態らしい。
だが実際のところ、あまり深刻に捉えていなかった。
会社を休むこともなかったし、睡眠時間を増やすこともなかった。まだ病名がわからないのに、いろいろ考えてもしょうがないだろう……。
「病名はホジキン病です。悪性リンパ腫ですので、すぐに抗がん剤治療が必要です」
ひんやりした柔らかな金属で、脳の後ろを直接なでられた気がした。