小森谷真殿。京都店への異動を命じます──。
半年後、京都に異動するようにとの辞令がでた。
八王子の劇場のことを気に入っていた彼だったが、その辞令に喜び勇んだ。
京都の劇場は、八王子の劇場よりも規模が大きく、会社にとっても重要な拠点だ。これから大きな仕事を任せられることも増えるに違いない。
「おれ、京都に行くことになったから」
「へー」
最初に土岸に報告したのだが、大した感想はないようだった。
「家は? 京都のどこ?」
「まだ決めてないけど、多分、二条ってとこにアパート借りるよ」
「ふーん。じゃあ、そのうち行くわ」
多分、土岸には二条という地名がぴんときていなかっただろうけど、それは彼にとっても同じだった。
東京を離れるのは生まれて初めてだし、友人や親と離れるのも、一人暮らしをするのも初めてだ。
「まあ、がんばれよ」
「おう」
ネットワークエンジニアになった土岸は、社会人になってもう三年目だった。
仕事はベンダー側のEP系だと言っていたが、それが何のことかは彼にはわからない。
彼も土岸も昔から向こう見ずで楽観的で、泳げないくせに鳴門の渦潮にダイブしても多分大丈夫だろう、と考えるようなタイプだった。
だけど、高校、大学、社会人、と成長した二人は今、その楽観が大まかにでもまかりとおるよう、社会の渦にもまれながらもがいている。
「母さん、おれ、京都に転勤になったから」
「京都?」
母親に伝えると、少し驚いていた。
でも彼は少し誇らしかった。転勤する、などと母に伝えるいっぱしの社会人に、彼はついになったのだ。
あまり家には寄りつかずに、ずっと勝手気ままにやってきた。だから転勤するまでの日々は、なるべく家で夕飯を食べるようにした。
母は顔をあわせるたびに、同じことを言った。
「向こうに行っても、ちゃんと寝て、ちゃんとしたご飯を食べなさいよ」
母は必死に働き、彼と弟を育てあげてきた。
彼が高校生のときには不良になってしまうのではないかと心配したし、二浪したときも心配したし、留年したときも就職できなかったときも心配した。
正直、お金の面でも厳しかった。
「本当に大丈夫なの? ときどきでいいから、電話をよこしなさいよ」
何度も同じことを言う母だったが、実のところもう、そんなには心配していなかった。
ちょっと前は少し顔色が悪かったし、彼女もいないようだし、就職してからもずっと毎日帰りは遅いけど、どこかで母は信頼している。
息子はずいぶん逞しくなったし、根本的なところではまっとうなものの考え方ができる。寝る場所と食べ物さえあれば、男子は元気にやっていける。
「じゃあ、行ってくるわ」
引っ越す当日、近所のパチンコ屋に行くようなトーンで彼は言った。