異国では、自分と向き合うことを避けられない
「パリジャン十色」ではこれまで、5人のパリ在住の日本人女性に、それぞれの人生について詳しく伺ってきました。
「パリ」という街自体が、日本にいる方には遠い夢の地に思えるかもしれません。しかし実際に住んでいる人たちは、それぞれ、日本に住む日本人がそうしているのと同じように、朝昼晩と仕事をして、ご飯を食べて、日常生活を送っています。ただ、彼女たちが大きく違うのは、日本にいたときの環境をまるごと脱ぎ捨てて、新しい生活をはじめているという点です。
異国で生活するということは、日本とはまったく違う価値観のなかで、まったく新しいスタイルの生活をスタートさせるということ。衣食住のあらゆる場面で、ひとつひとつ、自分に問うて確認する作業が待っています。
まず、日本語が通じない環境にいるため、「私は何を言いたいのか」「私は何を考えているのか」を自分のなかで整理してから伝えるという作業を、日常的にこなさなければいけません。とくにフランスでは、自分の意思は言葉で伝えなければ存在しないものとして見られてしまうほど、言語化することが大切です。この国で生活するには、否が応でも、毎日毎日、真っ正面から自分と向き合わざるを得ないのです。
30歳でパリにやって来た私は、それまでの30年間、そんな風に自分に向き合い続ける生活なんて、日本ではしたことがなかったと気がつきました。パリでの生活が始まったばかりの頃は、日本ではできた「なんとなく」や「ルーティーン」が通用せず、お気楽な余裕はまったくないので、毎日自分の頭のなかがとても忙しく、身体も慣れるのに必死でした。
歯を食いしばって我慢して、適応せざるをえないことや、コツコツ努力しなければどうしようもないこともたくさんあります。だから余計に、「こんな大変なことまでして、なぜ私はこの異国の街にいるのか」「私は何がしたいのか」を毎日、自問自答せざるを得ないのです。
どんな女性にも、一人ひとりドラマがある
これまで紹介してきた5人の女性たちは、日本でもごくごく普通に出会う可能性のある、今この記事を読んでくださっているあなたと変わらぬ、等身大の女性ばかりだと思います。しかし、この5人に共通しているのは、誰一人同じスタイルはなく、考え方も境遇も、てんでバラバラだということです。
一方、日本で生活していると、「女性は○○であるべき」という、ひとつの理想的な生き方を、無意識に強要されて生きてしまう傾向があります。
「○○であるべき」の○○のなかには、どういう会社に就職して、どういう人と結婚して、どういう母になって……という、いわゆる、皆が共通してイメージする理想や典型、王道の人生が入ります。
でも、今回したインタビューの結果を見てみると、「○○であるべき」という姿は、彼女たちの誰にも当てはまっていません。そう、実際に生きてると、「○○であるべき」に当てはまることの方が難しく、誰もが皆、同じ生き方なんてできないということが、よくわかったのではないでしょうか。
あらためて、彼女たちのこれまでの人生を振り返ってみると……。
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