マスメディアの凋落と島宇宙化
—— 前回は、1990年代には変化がたくさんあったからこそ、いまなお語りつくすためのフレームが整っていないというお話でした。
「暗い」とされる社会的な出来事が続発する一方で、1996、97年には雑誌と書籍の売上がピーク、98年には音楽CDの売上がピークをむかえます。
大澤聡(以下、大澤) 90年代の文化産業はかなり盛り上がっていましたよね。平成不況のリズムとタイムラグがある。カラ元気といえばそれまでだけど。
—— そのあたりは、東浩紀さんと速水健朗さんと大澤さんとでおこなった巻頭の共同討議でも議論されていますね。
大澤 ええ。暗いトピックが多いんだけれど、ほんとうに暗いだけだったのか。同年代としてはどうでした?
—— そうですね、95年当時、自分は中学2年生だったんです。サリンがまかれた沿線を父が通勤していたので、「少しタイミングがズレてたらお父さんも危なかったのよ」なんて教えてもらったのを覚えてます。でも、記憶に素朴に残っているのは、小室哲哉がダウンタウン浜ちゃんをフィーチャーした「WOW WAR TONIGHT」が流行っていたなぁ、あのころの「HEY! HEY! HEY!」めちゃおもしろかったなぁ、みたいなのんびりした記憶があります(笑)。
大澤 そうそう。人間はすぐに忘れて、事後的に単純化してしまいがちですから。そのあたりをしっかり精査するのが今回の本のミッションだったわけです。
いってみれば、ひとりの人間のなかにも複数の島宇宙が存在しているんですよ。体験した出来事が分裂しているというか、棲み分けて記憶にしまいこまれる。
—— たしかに記憶のなかではレイヤーが全然別で、同じ年っていう感覚があまりないです。
大澤 その意味では、90年代は「『解離』の時代」でもあった。舞台裏を少し明かすと、『1990年代論』のカバーの色が水色の底抜けの明るさを基調にしながらも、帯に隠された下半分がどこか沼地のような緑がかった色になっているのはそのことを表現してもいるんです。
—— なるほど! ところで、いま出てきた「解離」は精神分析の用語でしょうか。
大澤 まさに、いろいろな問題の原因が社会構造ではなく、心に求められるようになった時代でした。理解不可能な事件がおこるたび、精神科医や心理学者にコメントが求められるようになる。その決定的な転機はやっぱりオウム真理教と酒鬼薔薇聖斗ですね。トラウマなんて用語が一般的に使われるようになる。
—— それでいて、いろいろな現象がつながってもいました。
大澤 ブルセラ&援交ブームと平成長期不況とJ-POPの潮流は心がキーワードになったという意味ではどこか連動した現象でしたね。じっさい浜崎あゆみあたりの曲はトラウマがモチーフになりもする。小説でいえば、J文学や幻冬舎系文学がそれとリンクしていた。
—— 90年代は小室ファミリーが全盛でしたよね。
大澤 92年ころからオリコンの上位10位はミリオンセラーが占めるようになって、ダブルミリオンなんて曲もばんばん出ました。ユーロビートに典型的ですが、リズムは速いし、キーは高い。体感的にテンションをあげていくかんじで、暗さからはずいぶんと遠い。小室哲哉と小林武史のふたりの「TK」をはじめ、音楽プロデューサーが前面に出た時代でもあって、それはいまのプラットフォーマーによる先取誘導型ビジネスの予兆だったといってもいい。
—— そこにつながるわけですね。
大澤 とにもかくにも、メディア史的にいえば、90年代は「CDの時代」ですよね。カラオケボックスで歌うためにCDを買うなんて転倒した文化もありました。CDシングルのカップリングが歌抜きのカラオケバージョンだったり(笑)、レンタルショップで借りると歌詞カードのコピーがついてきたり。歌うこと前提ですよね。
他方で、巻頭の共同討議でも発言したとおり、テレビの音楽番組は冬の時代をむかえます。その代替として、バラエティーと結託することで、むしろ音楽が別の広がりを見せた。
—— 「HEY! HEY! HEY!」はみんな見てましたよね。
大澤 いまの音楽番組のプレイバックを20年後にやられたとしても、好きなアーティストが出た場面でさえなかなか覚えていないと思うんですよ。けれど、たとえば「HEY! HEY! HEY!」なら、ファンでもないのにかなり細かいシーンまではっきりと覚えている。これってどういうことなんだろうなと。僕たちが若かったからというだけでは説明がつかないんですよ、きっと。インターネット前夜、最後に「お茶の間」が機能したということなのかもしれません。
いくつもの宇宙を同時に抱え込むスタイルが確立された
—— あのころは本もCDも売れたけど、最近は……と残念なトーンでいわれることが多いです。でも、『1990年代論』を読んでいると、90年代のメガヒットの方が特異だったんじゃないかって気がしてくるんですが。
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