「つまり朝廷の申し出は『絶対に漏れてはならない』か『即座に漏れて天下に織田の権威を誇示しなければならない』のどちらかでなければならん。祝言能の披露から四日も経ってから漏れるのは、ふつうではない。なぜ、いまか」
家康の問いに、服部正成は無言で首をかしげた。
「信長殿の権威を保たなければならぬからだ」
「なにゆえでございましょう」
「三万の将兵を行き先も告げず意図をおしえないまま逗留(とうりゅう)させるには、四日間でも長すぎる。しかも全員が完全に軍装をしとるのだ。不満が爆発すれば、たちまち内乱となる」
「あるいは」
「正成。信長殿が官位を辞去した話は、織田方から流れておるのだな?」
「ご明察に候」
「そして『好きな官位をどんなものでも』という内示の話は、ひとりからしか流れておらぬのだな?」
ちょっと、服部正成はひるむ表情をみせた。正成は「裏がとれていない話」としか言っておらず、情報源の経路数までは家康に告げていない。
「——ご明察のとおりに候」
「織田方にいて、祝言披露の場に同席でき、朝廷の威光を熟知している者だわな」
家康は条件を指折りかぞえてゆく。
「この話は上様(将軍足利義昭)のご威光を左右するやもしれぬ重大事だ。つまり上様にかかわりの深いものからもたらされた話だな」
「それは——」
「噂の経路がひとつしかないのなら、それは流すな。踊らされる」
「どなたに」
「足利将軍の直参(じきさん)、明智十兵衛光秀」
七 明智光秀
永禄十三年(一五七〇・元亀元年)、四月十九日。洛中徳川家康本陣。
またも早朝に織田信長本陣より伝令があった。
「本日の出張はない。将兵の鍛錬と休養を十分にとり、明日にそなえるべし」
と、例によって簡素な命令であった。軍議に集まった三河家臣団は「またか」と失望の表情をみせたが、家康のうけとりかたは違う。
「『本日の出張はない』と、出陣時期を明記されておられるのを見落とすな。『将兵の鍛錬と休養を十分にとり、明日にそなえるべし』とくわえられておる。つまり、近日中に出陣がある」
家康の解釈に、三河家臣団は得心がいったようで、
「さればわれらはいかに」
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