服部半蔵の大失態

どうして、こんな奴らが天下を獲れたのか!? 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。信長(37)→部下全員置き去りで逃亡。秀吉(34)→殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。光秀(55)→経歴不詳。家康(29)→カンケイないのに絶対絶命 !迷走の果て、奇跡の決断ーー。2017年秋、27時間テレビ(フジテレビ系)でドラマ化! 「僕の金ヶ崎」(脚本:バカリズム/主演:大杉蓮)原案。



 本多忠勝(ほんだただかつ)や酒井忠次(さかいただつぐ)、服部(半蔵)正成らの重臣とともに朝の軍議をすませると、ころあいをみて小姓(こしょう)が軍議の机に食膳をならべてゆく。今朝は飯に味噌汁、菜花のひたしたもの、大根の煮つけ。あと干鰯。徳川の食事としては、かなり贅沢なものである。

「さて、食うか」

 家康が汁椀を手にとると、同席した重臣たちも箸をとった。

 そのとき。

「ええ匂いヤナ」

 本陣の陣幕をはねあげて

 織田信長が入ってきた。

「立たずともよい」

 総大将の不意の来訪に家康の家臣たちが床几(しょうぎ)から立ち上がろうとするのを、信長は手で制した。あたりまえだが、ここにいる重臣たちは全員、織田信長とは面識がある。

「腹が減った。朝の馬攻めを終えたところで、飯を食いにきた」

 信長の乗馬好きは徳川家中でもよく知られている。みれば信長は三十七の男盛りの年齢だというのに、まるで元服(げんぷく)前の子供のように、小袖(こそで)のもろ肌脱ぎに尻はしょりという軽装である。

「では、さっそく膳をご用意つかまつる」

「要らぬ。飯ならならんどるだろうが」

 信長は服部半蔵正成の隣に立ち、その汁椀を手にとって、ひとくちすすった。

「うまい」

 信長は家康よりも八歳年長で、家康が織田信秀の誘拐人質時代には周囲の目を気にせず、なにくれとなく訪れては家康の面倒をみてくれた。けれどもこと行儀作法に関しては、家康が尾張に誘拐されていたときから、ほとんど成長していない。

 家康は苦笑しながらつげた。

「信長殿、どうせならば陪臣(ばいしん)の食いさしより、拙者の食膳になされてはいかがか。まだ手をつけておりませぬゆえ」

「食いさしなら毒は入っとらん。政事に不満があるなら、主君の飯に毒をいれるのがいちばん手っ取り早いから、家康殿の膳はちとこわい」

 信長のひとことで、徳川伊賀者棟梁(とうりょう)の服部半蔵正成は顔面を蒼白にして唇をかんだ。暗殺と諜報は伊賀者の仕事である。織田の総軍洛中待機の真意がいまだにつかめないどころか、総大将・織田信長の居場所さえ把握できずに不意の家康本陣をゆるした。服部半蔵の大失態である。

 そして、同席した重臣のひとり、本多忠勝が顔面を真っ赤にそめたのが、家康にはわかった。

 本多忠勝が、怒りをおしころした声で告げた。

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金ケ崎の四人 ー信長、秀吉、光秀、家康ー

鈴木輝一郎

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。 信長(37)部下全員置き去りで逃亡。 秀吉(34)殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。 ...もっと読む

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