幼い家康が、織田に誘拐された時の話

どうして、こんな奴らが天下を獲れたのか!? 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。信長(37)→部下全員置き去りで逃亡。秀吉(34)→殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。光秀(55)→経歴不詳。家康(29)→カンケイないのに絶対絶命 !迷走の果て、奇跡の決断ーー。2017年秋、27時間テレビ(フジテレビ系)でドラマ化! 「僕の金ヶ崎」(脚本:バカリズム/主演:大杉蓮)原案。


秀吉の、これは噓。何度も秀吉にしている話だ。家康の家臣団にしつこく言い聞かせるための方策である。

「信長殿の父御の織田信秀殿のとき、三河岡崎城主のわが実父、松平広忠が尾張に攻め潰されそうになってな。今川義元殿に助けを求めたところ、今川はわしを人質によこせと言ってきた」

「まあ、そこまでは当たり前ですな」

 家臣や盟約を結んだ相手から、忠誠のかわりとして子息を人質にして撫育するのは、戦国時代では日常的におこなわれている。

 この場合「人質」とはいうものの、粗略にあつかえばたちまち家臣から離反される。家臣からあずかった子息は、主君のもとで丁重に行儀見習いや学問をまなばせられる。家臣団にとっては子息の教育の、主君にとっては若い人材発掘の機会でもあったのだ。

 しかし、家康の場合は、ちがった。

「そこでわが父は、わしと近習何人かを今川のところに預けることにした。そのとき、父上の重臣のひとりが『陸路はなにがおこるかわからないので、舟で送りましょう』と進言して、わしは舟で岡崎を出た。ところがこの重臣が父上を裏切った」

「ほう」

「船を駿府にゆかせず尾張熱田へと誘拐し、わしを今川ではなく織田信秀殿にわたしたのだ」

「それでどうなったのですか」

「織田信秀殿は『子息は織田であずかった。息子の命が惜しければ、三河岡崎は今川ではなく織田につけ』と、わが父上に言った。そうしたら父上は『その人質は本来、今川殿にあずけるはずの者を奪取したのであって、織田にいるのはわが本意にあらず。愚息の命は信秀にまかせる。煮るなり焼くなり好きにせよ』とこたえた」

「つまりそのとき、徳川殿は『死んでしまってもかまわない人質』だったわけですか」

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金ケ崎の四人 ー信長、秀吉、光秀、家康ー

鈴木輝一郎

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。 信長(37)部下全員置き去りで逃亡。 秀吉(34)殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。 ...もっと読む

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marekingu #スマートニュース 約3年前 replyretweetfavorite