二 砂上
同日四月十四日夕刻。
室町殿竣工祝言能の興行をおえて散会となったとき、信長は誰も護衛をつけずに家康にあゆみより、
「三河守殿、しばらく軍勢とともに洛中にいてくれるか。三河衆の力が要る。たのむ」
そう言って、頭をさげた。同席した徳川家中の重臣は感激の面持ちで陶然とした表情となり、あわてて答礼した。織田信長は家康より八歳年長なので当年三十七歳の男盛りである。
「おられる間の兵糧は、先年の上洛のときと同様、織田で持つので安気にめされよ。木下を供応役につける。三河守殿のお相手には格が足らぬとお思いだろうが、いまや木下は織田にとっては公事奉行としては村井貞勝にならぶ立場にある——なにより」
信長は機嫌がよいのだろう、多弁につづけた。
「その出世ぶりは旭日のごとき勢いがある。徳川殿にこそふさわしいと思ってな」
そういってほほ笑んだ。信長は、ふだんは声をかけづらいほど酷薄な目つきをしている反面、時折、本当に子供のように無防備な笑顔になる。
「こちらこそ、微力ながら精一杯させていただく所存に候」
「では、たのむ」
信長は次の瞬間、背をむけた。
信長の立居ふるまいに余韻のないところは昔からで、だからこそこの男がいろいろ誤解を受け続けてきたことを、家康は知っている。
「徳川様は、御屋形とは幼なじみだったとか」
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