——のはよいけれど、信長が義昭将軍を京都に滞在させて岐阜に戻ったとたん、信長に蹴散らされた三好一族らが、信長の留守を狙って足利義昭の宿舎を襲撃するという事件が発生した。
このときは明智十兵衛光秀の活躍によって退けた。
だが信長は足利義昭の身柄の安全を確保するため、京都二条に守りをかためた城を造営することにした。突貫工事でおこなわれ、昨年永禄十二年二月に完工した。
その、竣工祝いの席である。
「結局のところ、誰と誰がおるのだ」
観世太夫と金春太夫が仕切って能興行をやるとまでは家康は聞いているし、家康が一番舞わなければならないことも決まっていた。信長はかなりの舞いの名手なので、武将は誰でもできるとおもっているのだろう。
「ええと、武家のほうはおわかりになりまするか」
秀吉がささやいた。
「一応、足利義昭将軍を奉じての上洛は、徳川も加勢してともに上洛しとるからな。尾張衆はだいたい。佐久間信盛や林通勝、丹羽長秀、柴田勝家、森可成あたりは、信秀公(織田信長の父)の頃から面識がある。伊勢衆は北畠中将信雄卿(信長次男・織田信雄)ぐらいか。美濃衆は稲葉良通(一鉄)・氏家卜全・安藤守就の西美濃三人衆がいるところまでは」
「織田は急速に大身となりましたゆえ」
「あそこらへんにまとまっとるのは、畿内の諸将だな」
「御意。松永弾正殿、朽木元綱殿、三好左京太夫殿です」
「北近江の浅井備前守長政殿はおられぬのか」
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