バカリズム脚本でドラマ化!歴史ドラマ「僕の金ヶ崎」原案小説

どうして、こんな奴らが天下を獲れたのか!? 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。信長(37)→部下全員置き去りで逃亡。秀吉(34)→殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。光秀(55)→経歴不詳。家康(29)→カンケイないのに絶対絶命 !迷走の果て、奇跡の決断ーー。


序 虎穴の四人


 —信長を逃がせ

 徳川三河守家康は、明智十兵衛光秀と木下藤吉郎秀吉の目をみた瞬間、まるで経歴も性格もここにいる立場も違う三人が、まったく同じことを考えているのがわかった。

 元亀元年(一五七〇・永禄十三年・四月二十三日改元)、四月二十八日、敦賀。織田信長本陣。

 織田信長・徳川家康・明智光秀(足利義昭名代)連合軍三万は、四月二十五日に敦賀に着陣した。十五代将軍足利義昭の上洛命令を蹴った、越前朝倉義景を討つためである。

 ほぼ即日、越前手筒山城は落城した。引き続き金ケ崎城攻めにとりかかった。

 信長本人はなかなか敦賀の本陣からうごかない。

 家康は、信長がああ見えて実はかなり慎重で根気強いことを知っている。こまかい配慮をする男でもある。

 家康は、他人をそこそこ信用しつつそこそこ裏切られるつもりで付き合う。信長にはこの「そこそこの距離で付き合う」能力が決定的に欠如しているのも、家康はよく知っている。信長は、めったに人を信じないが、信じるときには無防備なまでに徹底的に信じる。

 この越前朝倉攻めの陣においては、織田・徳川・足利連合軍が敦賀表の正面から、北近江の浅井長政が北国街道沿いに側面から、それぞれ朝倉義景を討つことで進軍してきた。

 しかし、いまだに浅井が動く気配をみせない。家康は諸方に斥候や伊賀者を放って情報収集を続けたが、浅井に動く気配がない—どころか、どうも、朝倉と謀って逆に織田を挟撃するつもりらしい、という。

 雨、であった。

 この日を太陽暦に換算すると六月一日になる。燕たちは巣づくりを終えて最初の子育てにかかっていた。敦賀湾岸では二十四節気の芒種を前に麦の刈り取りをおえていた。

 家康は馬廻衆とともに信長本陣に走った。

 浅井長政謀反の現場に居合わせたのだ。敦賀の信長本陣に向かわねばならない。

 そして、これほどの重要事項には、使い番をはしらせるわけにはゆかなかった。

重版出来!有名な戦での人気武将4人の悪戦苦闘を描く「4人シリーズ」第1弾。

この連載について

金ケ崎の四人 ー信長、秀吉、光秀、家康ー

鈴木輝一郎

戦うだけが、戦(いくさ)ではない。「逃げる」こともまた、戦なのだ。 日本史上稀にみる見事な〝退却戦”、金ケ崎の戦い(1570年)。 信長(37)部下全員置き去りで逃亡。 秀吉(34)殿軍(しんがり)に抜擢も思考停止。 ...もっと読む

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コメント

mugichag |金ケ崎の四人 ー信長、秀吉、光秀、家康ー|鈴木輝一郎|cakes(ケイクス) 22日前 replyretweetfavorite

mai_tosho 【間もなく!!】 本日午前9時54分~:27時間テレビ(フジ系)で、バカリズムさん脚本の歴史ドラマ「僕の金ヶ崎」が放映されます。原案となった『金ケ崎の四人』(鈴木輝一郎著)がこちらで読めます! https://t.co/oG9VKNGZEo(毎日11時更新) 約3年前 replyretweetfavorite