第二章 1990~1993 不確かな中での確かさ
平成になり1年半が経過した1990年10月、SMAP6人は、翌年の単独コンサートのためにスタジオで連日レッスンを受けていた。
中でもグループの大きな目標は、「全員がバク転バク宙をできるようになること」。歴代ジャニーズはみんなバク転ができるのに、SMAPはいまだに、6人中3人もバク転ができないのだ。
さすがにこのままじゃダメだということで、当事者の中居・稲垣・香取はなんとかできるようになろうと、時間を見てはメンバーに補助を頼んでバク転の猛練習を行っていた。
その日は香取が、木村と草彅に補助を頼んだ。いつものように二人は香取の背中を支える。
しかし草彅はこの時「ちょっと感じたことのないような不安」を感じたのだという。
次の瞬間、香取の着地と同時に聞いたことのない音がスタジオ中に響き渡る。
「足が……何か……アレ? みたいな」(草彅)
着地に失敗した香取は右足首を複雑骨折、そのまま即入院。全治2か月だった。
香取が入院生活を送っている頃、中居はインタビューでこんなことを話している。