「ねえ見て見て。この物件いいと思わない? 家賃もそんなに高くないし、お風呂とトイレも別だし、ちょっと古いけど、でも許容範囲でしょう?」
眠くて眠くてたまらない僕の事情にお構いなしに、真赤は冊子を押しつけてくる。迷惑ではあるが僕も良くなかった。二日ほど前に、いつかここを出て二人で暮らしてみようか、などと、口にしてしまったのだ。
しかし、少し現実的になって考えればわかるだろうに。引っ越しとなれば、敷金礼金手数料、それから荷物を運ぶための代金と、出費がかさむ。そして僕らにそれを賄うだけの経済力があるかと言えば、あるはずがない。
真赤も知っている筈だ。僕らは二人で一つの銀行口座を使っていて、ついこの間まで彼女が働いていた給金も、そこに振り込まれていた。その残高を見れば、僕らにはそんな余裕などないのは自明である。むしろ、貧窮が目の前に迫っている。
どうしてその現実を無視出来るのか。いかに年若といえども、この危機がわからないはずもないのに。僕だって相当金銭的にはルーズだけれども、度をこえている。彼女が目の前の現実を見えぬかのような態度で陽気に引っ越し先の話をすればするほど、僕は意思の疎通がとれない全く別の世界の生き物が目の前にいるような、あっ、これはもしかしたら恐怖。
「ほら、場所だって、水屋口さんがいいって言ってた三軒茶屋だよ。どう?」
そんなに二人きりで暮らしたいのか、それとも、ここを出て行きたいのか。いずれにしろ困った。彼女は満面の笑みであるけれども、僕はそのプランを否定せざるを得ない。
確かに、いずれはここを出て行く必要はあるだろう。が、今すぐというのは無理だ。だからもう少し後に状況がととのったら、その話をもう一度しよう。大体、人が眠いのにそんな話をするな馬鹿野郎。と言うと、真赤は不機嫌になって部屋を出て行く。
怒らせてしまったようだが、それよりも僕は眠かった。今日は二時間も寝ていないのだ。何故かと言うと、昨日はオフ会で朝まで飲んでいた。真赤は行かなかった。だからあんなに元気なのだ。
うとうとしはじめると、すぐにまた真赤が戻って来る。そして僕をたたき起こす。何かぐずぐずと言っている。
僕は眠たいのと、薬が効いているのと、彼女のしつこさに、そんなことどうでもいいじゃないかと、怒ると、彼女は抗議する。そうしてしつこくやりあううちに、彼女は顔を赤く紅潮させて僕を蹴って来る。あっ、やりやがった。僕は同じくらいの力で蹴り返す。最終的に無視をしたら、声をあげて泣く。
泣き疲れて真赤はすやすやと眠りこけた。それを見て、僕はため息をつく。
まったく僕らは感情をむき出しにして、まるで獣のようだ。
毎日この調子で、些細なことを原因に言い争ってばかりいる。この喧嘩の声はきっと外にも筒抜けだろう。僕らは二人だけで住んでいるのではなくて、他の友人たちも戸を隔てたすぐ近くに住んでいるのだからね。怒鳴りあってばかりの僕と真赤を、タミさんはおそらく気にしていないだろうが、オシノさんは悩んでいるかもしれない。
これはあれだよ、忌まわしき共依存というやつだ。僕と真赤は精神と感情を共有しあって泥沼になっている。自分と相手の区別がつかなくなって混乱している。なんとかしなくちゃいけないが、どうしたら健全化するのか。とにかく、しんどい、しんどい。
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