ワイルド・スタイル』は日本にヒップホップをもたらしたのか

「日本語ラップ」の歴史をひもとく連載10回目。映画『ワイルド・スタイル』は、来日クルーが「笑っていいとも!」に出演するなどの大きなプロモーションを展開。映画の公開自体は短かったものの、その鮮烈な印象は現在も活躍する多くのヒップホップアーティストに影響を与えました。一方、後にB-BOYたちの聖祭「B-BOY PARK」を開催するCRAZY-Aにヒップホップを教えたのは、実はまた別の作品でした。

〝ヒップホップ〟とは、サウスブロンクスに住む黒人、プエルトリカンの若者たちから生み出された〝ストリート文化〟を総称したもの。キャンパスの代わりに地下鉄やビルの壁にポップな絵を描く〝グラフィティ(落書き)アート〟。ディスコやクラブのDJがあやつる〝ディスコ風カラオケ〟をバックにして、かけ合いトーキングのようにリズミカルに唄う〝ラップ(RAP)ミュージック〟。ストリートにマットを敷き、ラップミュージックに合わせて踊る〝ブレイク・ダンス〟(カンフーからアイデアを得ている)と、3つのファッションから成り立っている。
(*『ぴあ』83年7月29日号)

「NYから〝ヒップ・ホップ〟映画、10月本邦公開」と題された、映画『ワイルド・スタイル』についてのその短いコラムは、日本でヒップホップ・カルチャーを取り上げた最初期の文章にあたる。そこでは、DJとラップがひと括りにされ、いわゆる4大要素が3つになってはいるものの、『ワイルド・スタイル』のプロモータ―=葛井克亮が制作した資料に基づいて、実にオーセンティックな説明が成されている。そして、映画の公開に合わせ、このような語り口の記事が数多く出回ることとなるが、作品自体は興行としては振わず、数週間で打ち切られてしまう。

一方、プロモーションの成果として、B・ボーイング—いや、ここではブレイク・ダンスというポピュラーな呼称の方がしっくりくるだろう—のアクロバティックな動きは、日本の若者達に鮮烈な印象を残すことになった。

前述したように、葛井は『ワイルド・スタイル』を、普段、映画をあまり観ないような〝はぐれた〟連中にこそ観てもらいたいと考えた。そこで、彼は、ニューウェーヴがかかるディスコとして知られていた新宿<ツバキ・ハウス>や、80年代初頭における言わば鹿鳴館だった原宿<ピテカントロプス・エレクトス>等、先鋭的な若者が集まる場所だけでなく、デパートの催事場やスポーツ・フェアといったより開かれた場所でもプロモーション・イベントを行った。

例えば、DJ KRUSHと名乗って原宿の歩行者天国でDJを行うようになる以前の、〝はぐれた〟若者だった石英明も、西武百貨店・池袋店で『ワイルド・スタイル』クルーのパフォーマンスを目にしたという。また、サウス・ブロンクスのBボーイやラッパーたちはテレビ番組にも出演。『森田一義アワー 笑っていいとも!』では、ロック・ステディ・クルーのブレイク・ダンスで会場が湧いたのに続いて、司会のコメディアン=タモリこと森田一義がレパートリーのひとつである出鱈目な中国語を使ってラップを披露し、笑いを誘った。

それは、当時のラップの受容のされ方を象徴していたのかもしれない。ヒップホップ・カルチャーの花形はあくまでもBボーイであった。


『ワイルド・スタイル』クルー@「笑っていいとも!」


ロック・ステディ・クルー@「タモリ倶楽部」

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「フリースタイルダンジョン」や「高校生ラップ選手権」の流行、メディアでの特集続き……80年代に産声を上げた「日本語ラップ」は現在、日本の音楽シーンにおいて不動の位置を占めるものとなりました。いとうせいこうらの模索からはじまり、スチャダ...もっと読む

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コメント

Imatomo_Bird  90%ぐらい『ワイルド・スタイル』じゃないかね、(引用者注:日本の)ヒップホップの始まりはね。 約3年前 replyretweetfavorite

camelletgo |磯部涼|日本語ラップ史 https://t.co/bLPQNwlvZg 約3年前 replyretweetfavorite

isoberyo 連載『日本語ラップ史』、今回で第2章「ホコテンとピテカン」は終了。日本のBボーイングの第一人者で、今年最後となるBボーイパークの主催者であるクレイジーAを、83年、ホコテンへと向かわせた 約3年前 replyretweetfavorite

dorkone 後で読も 約3年前 replyretweetfavorite