松尾会というものが毎年催される。
僕の担当編集者が僕の誕生日に集まって祝ってくれる会だ。だいたい総勢20名くらい。今現在、書きものの連載は数本なので、現担当より、長いことなんだかんだ仕事ぬきでお付き合いさせてもらっている編集者の方が多い。僕の誕生日が12月なので、忘年会的な意味合いもある。これがなんと今年で17年目になる。17年ってなかなかな数字である。そりゃあ20人にもなるか。
しかし、びっくりする。こんなに長いことよく集まってくれるものだ。ほとんどヒット作などないのに。
初めの頃は、みな、もちろん知り合いでないうえ、ある意味ライバルなので、かなり、お互いの出方をうかがうピリピリした会だったと思う。自分でも集めておきながら、なんで、こんな緊張感の漂う飲み会をせねばならないのかという自問自答もあった。しかし、会を重ねるうち、お互い打ち解けすぎるほど打ち解け、会社の枠を超え、今では、僕がいなくても、お互い仕事を発注しあったり、普通に飲み会を開いて恋愛相談していたりする。なんで誘ってくんないんだよと、少し嫉妬すらする。
松尾会ではただ飲んで騒いでいるだけの彼らだが、17年にもなると、最初は20代だったものが40代になるのだから、皆、それなりに人生のあれやこれやを味わいつつ集うものだ。結婚したものもいれば、離婚したもの、結婚して離婚したもの、家庭内別居中のもの、離婚したのになぜか奥さんと同居しているもの、子どもを産んだもの、ずっと独身のもの、不倫をしているもの、不倫をされたもの、若くして奥さんに先立たれたものまでいる。
奥さんに先立たれた編集者は、紆余曲折の末、前の結婚のとき僕が買った家に、僕の昔のアシスタント(男)と同居、そののち、元アシスタントが岡山で農業をやるというので飛び出し、今、その3階建ての家に一人、奥さんの位牌の入った仏壇とともに住んでいる。たまに遊びに行くのだが、まず、3階の寝室にある奥さんの遺影に手を合わせるとき、とてつもなく不思議な感情になる。10年間自分の寝起きした部屋に他人の仏壇があるのである。その傍らには、人間が一生に一度味わうかどうかの、悲痛な経験をしたやもめ男が正座しているのである。
しみじみ、言いたい。なんも言えねえと。