しゃぶしゃぶというものを23歳のとき、初めて東京で食べた。地元では、しゃぶしゃぶを食べる文化がなかったのだ。
就職した印刷会社の忘年会だった。今考えれば、安いしゃぶしゃぶだったと思うが、しゃぶしゃぶ童貞だった僕には衝撃が走った。これまで、焼肉やすき焼きの甘い味付けでしか牛肉を知らなかった自分にしてみれば、お湯で脂を落としてポン酢であっさり牛肉を食べるという、牛肉という存在から否が応でも立ちのぼる「洋」の空気を究極にまで「和」に寄せた行為が、脂というものに対するそっけないいなし方が、いかにも、いなせな振る舞いで、なんというか、やっと東京の大人の仲間入りを果たしたような気がしたものだった。そもそも、鍋好きで、牛肉好き、しかも、しめに、これまた好物の麺を入れられる。これは、究極の「ハレ」の料理だなと。
以来、ここぞというときの自分へのご褒美にしゃぶしゃぶを食べる。家でも食べるが、店では、町の肉屋では売ってないようなサイズの肉が食べられるのがいい。肉のサイズの大きさ=テンション上がる。その公式は、子供の頃から53歳のいい大人になってもまったく変わらない。
初めての結婚をしたとき、住んだ町三宿にとてもちょうどいいしゃぶしゃぶ屋を見つけて、折に触れ足を運んだ。値段も「上しゃぶしゃぶ4200円」で手頃。肉のサイズもいい。いつも、予約せず入れる程度の混みようで静か。酒の値段も安い。今日はちょっと贅沢しようかというときに、いかにもちょうどいいしゃぶしゃぶ屋だったのだ。
ただ、その店には太っている人と痩せた人、2人の中年の女性店員がいたのだが、痩せている方の存在感が非常に気になった。悪い気になり方じゃない。彼女のバックボーンに対して想像力を刺激されてやまない、そんな気になり方なのだ。