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自分が自分であることを休みたくなる時が、あなたには、あるだろうか。
私には、たまにある。
それはたとえば、横浜駅にいる時だったりする。知らない人による知らない人の悪口が、いやおうなしに耳に入る。知ってる人とのいろんな記憶も、景色に、においに、呼び覚まされる。
そういう時に、思うのだ。知らない場所に行きたい、と。
旅の準備はこうだ。
(1)旅する予定の日程を押さえておく。
(2)行きたいところをいくつか考えておく。たとえば、Googleマップで見た変な名前の島、美容室で読んだ雑誌に載ってたきれいな写真の撮影地、めっちゃ好きな食材の名産地、など。
(3)出発前日、候補地それぞれの天気を見る。一番天気がいいっぽい場所への旅券とホテルをネットで自力手配する。
(4)出発。
予定表は作らない。何が起こるかわからないほうが面白いからだ。ツアーにもしない。休みの時まで時間を守って集団行動するというのが私には合わないからだ。ただ、その土地の言葉だけは、入門書一冊分くらいは勉強しておく。そのほうが、いろんな看板とかを読めて面白いし、現地の人にも「おっ。しゃべれるの?」と心を開いてもらえるからだ。
ということで、2017年7月5日から8日まで、フランス北西部・ブルターニュの港町、カンカルを旅した。誰も私を知らない、日本語も通じない場所、カンカルを旅して出会った人たちのことについて書いておきたい。
初日から私の旅は詰んでいた
「オーレリアン? あいつかあ……電話しても繋がらないと思うな」
私は、詰んでいた。いかにも私は旅人ですみたいな書き出しをしておいて恐縮だが、初日から私の旅は詰んでいた。
朝6時半に宿を出発、徒歩1時間かけて港へ。ショゼ島という、島全体が歩行者天国、車も自転車も禁止という島に行ってみたかった。そこで、観光案内所の人に教えてもらい、ショゼ島行きの船のキャプテンにメールしておいたのだが、返事がなかったのだ。
港の事務所が朝8時に開くということだったので、「とりあえず朝7時半につきますね。よかったら船に乗せてください」とメールしてとりあえず朝7時半に来たのだが、船のキャプテン、オーレリアンさんは今日はつかまらないらしい。
「船に乗る人が4人以下だと、経済的に苦しいから船が出ないことがあるんだよ。私も昔はオーレリアンと働いていたんだがね、こうもお客さんが少ないと……。」
そう言って、そのよく日焼けした初老男性は、申し訳なさそうに声を落とした。6人乗ったらいっぱいくらいの、ちっちゃな船に手をかけている。
「ショゼ島は美しいところだよ。また来るといい。じゃあ、今日を楽しんで」
船のお尻に積んである、まるいエンジンのひもをひっぱる。ぷるるーん!と、「がんばるぞー!」みたいな音がして、そのちっちゃな船のモーターがまわりだした。すごく素朴なつくりの船だ。
男性は両手で船をぐいっと押し出し、それから飛び乗った。船が遠のいていく。もともとちっちゃい船が、もっとちっちゃくなっていく。この港自体も素朴なつくりをしていて、桟橋もなにもない。ただの砂浜である。名前も素朴だ。「Port Mer」……「海の港」。ただただ、そのまんま。
船が去って、私はぽつんとひとりになる。あとから、ぽちゃぽちゃに太ったおじいさんが栗色のダックスフント犬とやってきて、お腹をゆらしながら海に入っていった。犬は犬かきでついていった。
それを目で追っていたら、ぷいんぷいーん!と船が戻ってきた。なんか、こっちに来い、みたいなジェスチャーをしている。
青い目のおじいさん二人と
「マダム、シュープリーズはお好きかな」
サプライズは、フランス語で発音すると、シュープリーズ。なんかおいしそう。
「好きです」
「よかったら、ちょっぴり水上散歩に出かけましょうか」
「はい!」
私は港の事務所を指差して、お金はあそこで払えばいいですか、と聞いたが、男性は、これは公共の船だからお金はいらない、という。公用車で保育園のお迎えに行った国会議員を怒る人のことを思い出したが、頭の中に流れる日本語ニュースをとりあえず切って、私は、シュープリ——ズ、と言った。
「ボンジュール」
「ボンジュール」
シュープリ——ズって言っても頭の中でシーブリ——ズに変換されて頭の中で倉木麻衣が「肌に風を呼ぼう」と言い出してしまう私の日本人さがマジ日本人、って思っていたところで、おそらくフランス人であろうおじいさん二人がボンジュールしながら船に乗ってくる。
「C3で」
「ウィ」
何がウィなのかよくわからないが、とりあえず船は動き出した。ぷるんぷるーん!
波間を進む。みんな無言だ。
青い海を心地よく揺れる船で、青い目のおじいさん二人が私を見ている。二人とも、仕事道具であろう何かメカメカしいものを持っている。なんか、名乗らないといけない気がした。
「アサコです。あの、はじめまして」
「……」
「……ええと。文筆家です。日本から取材に来ました」
遊びじゃなくて仕事なんです、という顔もしないといけない気がした。
「ほう、そうか。日本か」
おじいさん二人は、やっとそれぞれ口を開いて、
「俺はヨコハマにいたことがあるぞ」
「俺もアジアなら航海した」
それぞれにスケールの全然違うことを言った。
それから、おじいさん二人は、なんだか、どっちがすごい船乗りであるのかというアピール合戦をはじめたらしい。「俺はヨコハマに何年も住んだんだ!」「俺だってアジアを何ヶ国も回ったぞ!」
一方は期間の長さを、一方は訪問国の多さをアピっている。言っていることが全然噛み合っていない。
「アサコ。私はクリストフだよ」
噛み合っていないふたりを放置して、船に乗せてくれた男性がにこっとしてくれる。
「名前の次に必ず聞くんだが、アサコ、どれくらい泳げるんだい」
「10mくらいです」
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