第21回 25歳の日系アメリカ人青年、アップルコンピュータ日本担当のトップになる。

「宣伝予算が少ない」「方針が見えない」「サポートがない」「日本語ができない」「マニュアルがちゃち」「不良が多い」……
来日早々、アップルコンピュータジャパンの初代社長のションフェルドは、関係者の不満に、サンドバッグのようにもみくちゃにされることになりました。25歳の、しかも日本語を話す青年は、関係者が不満をぶつけるターゲットとなってしまっています。彼はそうした不満を聞いていくうちに、大企業である東レの枠の中だけで組織されたアップルチームのメンバーは、ショップの店員と違い、商品知識が不足していてトラブルが頻発していることがわかってきます。

登場人物たち

スティーブ・ジョブズ 言わずと知れた、アップルコンピューターの創業者。1976年に創業し、1980年に株式上場して2億ドルの資産を手にした。その後、自分がスカウトしたジョン・スカリーにアップルコンピューターを追放されるが、1996年にアップルに復帰。iMac, iPod, iPhone などの革新的プロダクトを発表しアップルを時価総額世界一の企業にする。

水島敏雄  東京で「ESDラボラトリー」という小さな会社を営む。マイコンの技術を応用し、分析、測定のための理化学機器の開発を行うために作った会社で、ESDという名称は、 Electronics Systems Development の頭文字をとっている。東レの研究員として働いていた時代から大型コンピュータや技術計算用のミニコンに通じており、マイクロコンピュータの動向には早くから注目していた。ESDは日本初のアップルコンピューターの代理店となる。

『スティーブズ』

曽田敦彦 構造不況の中、業績が芳しくない東レが、「脱繊維」を掲げ新分野として取り組んできたのが磁気素材の分野だった。ソニーのベータマックス用としてはさらに薄地で耐久性のあるテープ素材の開発が必要で、45歳になる曽田はこのプロジェクトの中心として部下に20名以上の研究員を従えている。地味で根気のいる仕事ではあったが、東レがハイテク新素材メーカーへステップアップする上でこのプロジェクトは重要な意味を持っていた。

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林檎の樹の下で -アップルコンピュータジャパン物語- ✕スティーブズ外伝

うめ(小沢高広・妹尾朝子) /斎藤 由多加

ふたりのスティーブ、ジョブズとウォズニアックが設立したアップルコンピューターは、1977年4月、サンフランシスコで開催されたウェストコーストコンピュータフェアに出展した。ジョブズがこだわりにこだわったベージュ色の本体の数が足りないので...もっと読む

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コメント

prisonerofroad #スティーブズ 約2年前 replyretweetfavorite

tipi012011 25歳の日系アメリカ人青年アップルコンピュータ日本担当のトップになる。斎藤由多加 @YootSaito うめ(小沢高広妹尾朝子) @ume_nanminchamp 約2年前 replyretweetfavorite

cucciolo_rs16 Appleが、いかに日本のマーケットに浸透していったのか? https://t.co/iC6iOFSEa0 約2年前 replyretweetfavorite