よく晴れた日、湘南江ノ島にて
左:ムッシュと片岡翔、右:松本大洋
心配になるくらいのイノセントさ
—— 映画監督である片岡さんのデビュー小説『さよなら、ムッシュ』。しゃべるぬいぐるみと暮らしている青年が、冒頭でいきなり余命宣告をされるというユニークな作品ですね。
片岡翔(以下、片岡) はい。
—— 主人公の少年とぬいぐるみの装画を、松本大洋さんが描かれているわけですが、まず、片岡さんはどういった経緯で装画を依頼されたんですか?
片岡 これがなかなか不思議な縁で。まず僕の父が人形館のお店をやっているんです。そこへ当時小学館で松本大洋さんの担当編集をなさっていた江上英樹さんが縁あっていらしたんです。で、そのとき僕も店にいて「大洋さんのファンなんです」とお話ししたら「じゃあ、いつか会えたらいいですね」と言ってくださって。その後、とある企画で実際に大洋さんとお会いできまして、その縁もあって、今回大洋さんに装画をお願いしました。
松本大洋(以下、松本) 僕はここ10年くらい、本の表紙やCDのジャケットの仕事は遠慮させていただくこともあったんです。
もちろん光栄ですし、すごく楽しいんですよ。でも、作家さんの紡いだ作品に上から服を着せるようなものなので、やっぱりプレッシャーがあって。自分の作品だったら「いまひとつだったな」と思っても忘れられるんですけど、人様の作品でヘタを打ってしまうと、自分でそれを思い返して、そのダメージをわりあい引きずってしまうんです。
—— でも、今回は引き受けられたんですね。
松本 正味の話、「読んでから(装画を引き受けるかどうか)決めてください」っていうかたちで依頼を受けたときに、大概もう「やる」って決めて読むんです。だって、読んだうえで「描けません」って、言いづらいじゃないですか。
だから『さよなら、ムッシュ』もけっこうそういう気持ちで読んだところもあったんです。でも、すごく悲しくて優しい小説で、返事には悩まなかったですね。
片岡 ありがとうございます。本を出せるだけでもありがたいのに、こんなに素敵な装画を描いてくださって。
松本 あと、ご本人に会ったことがあったのも大きかったですね。初めて片岡さんにお会いしたとき、なんというか、すごくおもしろかったんです。
片岡 おもしろかったんですか?(笑)
松本 いや、お会いする以前に僕は片岡さんのショートムービーを何本も拝見してたんですけど、その印象と、ご本人の印象がすごく近くて。
僕の知り合いにも映像をやっている人が何人かいるんですけど、なかには「邪(じゃ)」みたいなものが表に出てる人もいるんですよ。それは悪い意味ではぜんぜんなくて、「きっとこの人は、海千山千の映像の世界でやっていけるんだろうな」ってむしろそういう人のほうが見てて安心するというか。でも、片岡さんは、どこか危うさみたいなものを感じて。
—— 危うさですか。
松本 もちろん本人に言わせたらいろいろあるかもしれないけど、「この人、大丈夫かな?」って心配になって。
片岡 あははは。
松本 それで今回、改めて『さよなら、ムッシュ』を拝読しても、その印象が変わらないんですよね。
—— どんな印象だったんですか。
松本 言葉にするのが難しいんですけど……、純粋というかイノセント(無垢)な感じ。それがすべてに通底してて、そこに関心を引かれたというか。
映画監督の才能のあるなしって、誰にもわからない
片岡 大洋さんに見抜かれていたとおり、僕は監督としてガツガツいけないんですよ。そのせいで悔いが残ってしまった作品もあるし、それではいけないなとも思ってるんですけど……。
松本 いや、大変だと思います。僕も、『青い春』とか、自分の漫画が原作になった映画の撮影現場に何度かお邪魔したことがあるんです。
撮影現場ってもう、大騒ぎじゃないですか。飛行機が飛んでいると、「飛行機、飛んでます!」って一同大騒ぎして、とりあえず飛び去るのを待つ。そうすると空が曇っちゃって、前のシーンとつながらないから今度は晴れ間を待つ、みたいな。そこで監督は、(松田)龍平くんとかキョンキョン(小泉今日子)もみんな待たせながら、瞬時に判断して、「じゃあもう1テイク」って言わなきゃいけない。
片岡 そういうところはありますね。
松本 自分のようなタイプの人間にとっては、映画をつくる現場というのは、モノを作るにはとても難しい場所だなと、いつも思うんです。すごいな、とてもじゃないけど僕にはできないなと。
片岡 漫画の制作現場とはまるっきり違うでしょうね。
松本 やっぱり、僕はいつものルーティンで、いつものモーニングを食べて、いつものコースを散歩して、家に帰ってきて、気持ちを作ってから漫画を描くので。
だから、撮影中にイレギュラーなことがまかり起こってくるあの慌ただしいなかで、約120分のまとまりをどうイメージして撮ってるのか、さっぱりわからないです。
片岡 ええ。
松本 それに、僕はきっと、カメラマンの方とか、周りのスタッフの人にもすごく気を遣ってしまいそうだなって(笑)。
でも、あんまり気を遣っていたらなんにもできないし。ほんとに映画って、モノを作る能力プラス、もうひとつ、迫力みたいなものが必要な気がして。
片岡 おっしゃる通りだと思いますね。ただ、繰り返しになりますけど、僕自身にその「迫力」があるかというと……。
松本 ひょっとしたら、両方やっていかれるとおもしろいのかもしれませんよね。映像と、小説と。
片岡 そうですね。そもそも僕は、中学生くらいのときは小説家になりたいって思ってたんですよ。映画監督よりも先に。でも、高校生くらいでデビューしている作家さんの作品を読んで「自分には無理だ」と感じて断念したんです。
そういうふうに、小説家の才能のあるなしって、たとえば単純に文章力とかで、自分でもある程度見当がつくじゃないですか。あるいは漫画家だったら絵が描けなきゃダメだし、歌手だったら歌がうまくなきゃダメ。でも映画監督の場合、その才能のあるなしって誰にもわからないんですよ。だから僕は目指せたんだと思うんですよね。わからないまま、「もしかしたらなれるかもしれない」って。
松本 なるほど。おもしろいですね。
片岡 ただ、こうして映画監督になっても、どちらかというと画を美しく撮るというよりは、物語を作るほうが好きなんですよ。だから脚本業も楽しくやらせてもらっていたんですけど、やっぱり小説も、映画作りに劣らない楽しさがあるっていうのを、今回感じました。
少年時代の星太朗がムッシュを抱いているシーン
—— 『さよなら、ムッシュ』の装画を描く作業自体は、スムーズでしたか?
片岡 装画のラフは、3パターンいただいたんですよね。
松本 だいたい、いつも奥さんと話をして2人で描くんです。描く絵のイメージとかを話し合いながら、地の色や服の色とかは彼女に決めてもらい、塗ることが多いですね。ラフのうち1つのパターンは、女の子の後ろ姿というのも描いてみたんです。
—— その女の子というのは、物語のキーパーソンのひとりである、小学生の夢子ちゃんですよね。
松本 そうです。ただ、このタイトルで女の子の後ろ姿って寂しすぎやしないかなって、そこは少し悩みました。もちろん、3パターンのラフはどれが表紙になってもいいと自分で納得してお出ししてるんですけど、これを見た人に「ああ、寂しいお話なんだな」と思われてしまうのはちょっと違う気がするというか。表紙というものが、読む人にどれくらい影響するのかわからないですけど。
片岡 いや、とても影響すると思います。もうひとつはぬいぐるみのムッシュ単体の、わりとコミカルな、かわいい感じのイラストだったんですけど、最終的に、少年時代の星太朗がムッシュを抱いているこの表紙に決めさせてもらいました。
松本 うん。片岡さんご本人から「これでいきたいです」と言ってもらえたので、仕上げは速かったですね。
—— ちなみに、この表紙に採用された絵は、何番目に描かれたものなんですか?
松本 これは、最初に描いたものですね。もう読みながら、思いついたまま。片岡さんから「好きに描いてください」って、はじめに言われたんですよね。ぬいぐるみのムッシュですら……。
片岡 たぶん、10人が描いたら10通りのムッシュができあがると思うんですよ(笑)。
松本 でも、さすがにそれは、片岡さんの想定してるムッシュ像からかけ離れてしまうおそれもあったので、「写真か何かありませんか?」って。
片岡 それでムッシュのぬいぐるみの写真を送ったんですよね。
—— そもそも、片岡さんはどうしてしゃべるぬいぐるみを書こうと思ったんですか?
片岡 僕は昔から、本当にぬいぐるみが大好きで。父が人形屋っていうのと関係あると思うんですけど、僕の家は6人きょうだいで、全員に1体か2体ずつ、小さいころから相棒のぬいぐるみがいるんですよ。
—— ええ、それはすごいですね。大人になってもですか?
片岡 さすがに、僕も思春期から20歳過ぎくらいまでは相棒を放ったらかしていたんですけど、大人になってから「なんか大事だな」って思い直して、どんどん愛着も湧くようになって——
次回「自分が死んだら、ぬいぐるみも一緒に焼いてほしい、なんてありえなかった」は明日更新予定
構成:須藤輝