第18回 アップルと東レ、スタート直後に暗雲に。

アップルコンピューターとの提携以来、東レのアップルチームではサポート体制の完備よりも先に全国のパソコンショップのリストアップ作業が続けられていました。販売業を開始した1980年7月の時点で、国内のパソコンショップはわずか230店舗。この中から未開拓の販売店を6つのディーラーらと協同で開拓するのが当面の仕事である。課で掲げた目標店舗数は50店舗です。そこに青天の霹靂のニュースが飛び込んできます。

登場人物たち

スティーブ・ジョブズ 言わずと知れた、アップルコンピューターの創業者。1976年に創業し、1980年に株式上場して2億ドルの資産を手にした。その後、自分がスカウトしたジョン・スカリーにアップルコンピューターを追放されるが、1996年にアップルに復帰。iMac, iPod, iPhone などの革新的プロダクトを発表しアップルを時価総額世界一の企業にする。

水島敏雄  東京で「ESDラボラトリー」という小さな会社を営む。マイコンの技術を応用し、分析、測定のための理化学機器の開発を行うために作った会社で、ESDという名称は、 Electronics Systems Development の頭文字をとっている。東レの研究員として働いていた時代から大型コンピュータや技術計算用のミニコンに通じており、マイクロコンピュータの動向には早くから注目していた。ESDは日本初のアップルコンピューターの代理店となる。

『スティーブズ』

曽田敦彦 構造不況の中、業績が芳しくない東レが、「脱繊維」を掲げ新分野として取り組んできたのが磁気素材の分野だった。ソニーのベータマックス用としてはさらに薄地で耐久性のあるテープ素材の開発が必要で、45歳になる曽田はこのプロジェクトの中心として部下に20名以上の研究員を従えている。地味で根気のいる仕事ではあったが、東レがハイテク新素材メーカーへステップアップする上でこのプロジェクトは重要な意味を持っていた。






契約締結と同日の七月一日、羽根田は課長代理に昇進した。計測機器貿易課。この課が正式に東レのアップルビジネスを担当する部署となる。男性5名、女性2名という構成である。この日をもって羽根田はこの課の、そしてアップルⅡの日本販売の責任者となった。東レ社内でもアップルとの提携は話題となった。羽根田は社内でもちょっとした有名人となった。役員をはじめ、社内のいたるところに「アップルⅡ」が置かれ、羽根田の率いる課は、通称「アップルチーム」と呼ばれるようになった。


売りたいという店に必要なだけ卸すのがアップルの希望ならば、売らせる店をあらかじめ開拓するというのが羽根田たちのやり方だ。契約当時のドルレートはおよそ1ドル220円で、運搬コストなどを差し引いた東レの粗利率は22パーセントから23パーセントと設定された。それ故営業網に関してはすでに早くから体制を準備してきたのだが、本体の修理・保証に関してはアップル社からリベート支払いの条件を取り付けていたものの、実際のサポートやメンテナンスをどうやって提供してゆくか、その体制はまだ完成していなかった。現状の6社のディーラーだけの力では、羽根田らに東レから課された売り上げ目標は達成できそうもない。目標を課された羽根田らがどうしても販売を行う店舗開拓に目がいってしまうのも無理はない。このアップルチームではサポート体制の完備よりも先に全国のパソコンショップのリストアップ作業が続けられていた。販売業を開始した1980年7月の時点で、国内のパソコンショップはおよそ230店舗。この中から未開拓の販売店を6つのディーラーらと協同で開拓するのが当面の仕事である。課で掲げた目標店舗数は50店舗である。


店舗開拓で必ず問題となるのは、店の与信であった。高価な商品だけに、店舗側が仕入れたいと申し入れがあったからといって誰かれ構わず卸すことはできないのが悩みの種である。この50店舗を獲得するためには、与信のみならず、販売サポート力、アップルの知識、店員の対応といった項目をチェックし、優良店の中からアップルを売ってくれる店として契約してもらう必要がある。蒸し暑さが厳しくなる七月初頭から、アップルチームのメンバーはさっそく全国に点在する、リストアップした候補店舗を手分けして足で回る行動を開始した。


事件はその矢先の同月十一日に起きた。同日の日経産業新聞に「東レとの提携微妙に」という見出しで、次のような記事が突然掲載されたのである。


「米国アップルコンピューターの日本でのPR業務を担当している井之上アートプロダクツが十日明らかにしたところによると、アップル社は年内または来春に、日本法人『アップルジャパン』を設立する方針を固めた。アップル社はアップルジャパンを拠点に将来パーソナルコンピューターの日本国内での生産、直接販売を進めていく考えだ。アップル社は先ごろ東レと日本における総販売元契約を結んだばかり」


再び、かつてベンチャーだったアップルの製品に胸をときめかしていたあの時代の空気感を若い世代に伝えたい!!

この連載について

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林檎の樹の下で -アップルコンピュータジャパン物語- ✕スティーブズ外伝

うめ(小沢高広・妹尾朝子) /斎藤 由多加

ふたりのスティーブ、ジョブズとウォズニアックが設立したアップルコンピューターは、1977年4月、サンフランシスコで開催されたウェストコーストコンピュータフェアに出展した。ジョブズがこだわりにこだわったベージュ色の本体の数が足りないので...もっと読む

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コメント

yuko88551 〔コラム〕 約2年前 replyretweetfavorite

msk3345 {コラム} 約2年前 replyretweetfavorite

wol564b =コラム= 2年以上前 replyretweetfavorite

pek5845 -コラム- 2年以上前 replyretweetfavorite