ああ、面白くないんだな。
やっぱり、そうだったのか。
僕に芸人なんて、無理ですよね。
でも、辞められないんでしょう?
こんな心境で毎日を過ごしていたから、何度も失踪を繰り返すター坊のことを、僕はどこかで羨ましくも思っていた。
「お前ら、全然、おもろないねん!」
あの時、その罵声を上手く変換できていたら。
なるべく平気な顔で受け止めていたら。
みんなの人生は変わっていたのだろうか?
いや、やっぱり、あの時点では無理だったと思う。
本当に面白くない芸人にかける言葉なんて、芸人の世界には存在しない。
関わるのも無駄な時間だから、そんな芸人には誰も何も言わないというのが、この世界の常識なのだ。
ましてや、本当に面白くない芸人に対して、面白くないとストレートに言うこと自体が、なにひとつ面白くない。
「お前ら、全然、おもろないねん!」
「お前ら、もう少し、面白くなれよ!」
「頼むから、もうちょっと頑張れよ!」
自分に後輩芸人が出来て、人から頼られるようになって、僕はようやく、この3つが同義語であることに気がついた。
今さら何を言っても後の祭りだが、こんな単純な図式にすら気が回らないほど、僕には全てが足りていなかった。
そしてそんな状況に追い込まれるほど、関西人の吉田さんと、この時の僕たちとでは、まるで心が通っていなかったのだろう。
「ほな、タクシーで行こか」
バイトが入っていたコンバットとひらい、そして先輩の文太さんは免除され、結局、吉田さんとケン坊、華丸と僕の4人でター坊の家へと向かった。
乗り慣れないタクシーの車内には重苦しい空気が充満していて、僕は見慣れない車窓を眺めながら、なるべく穏便に今日という日が終わることだけを、ただひたすらに願っていた。
「なあ、アイツ、この世界を辞めたいんかなあ……?」
「えっ?」
誰からともなく、驚きの声が小さく上がる。
唐突に口を開いた吉田さんからは、意外なほどの寂しさが滲んでいた。
「お前ら、アイツとそんな話したことあるんか?」
吉田さんの穏やかな口調に、どう答えていいのやら、逆に正解がわからない。
「まあ、かなり悩んではいましたけど……」
「辞めるとまでは言ってなかったような……」
「はい、そうですね……」
この後の展開を考えて、僕たちは咄嗟に嘘をついた。
辞めたいと言っているのは、ター坊だけではない。
申し訳ないけれど、裏ではみんな辞めたいと口にしている。
しかし正確には「全員が辞めるなら、自分も辞める」というのが、吉田さんには内緒にしていた、僕たちの本心だった。
有名になりたいとか
テレビに出たいとか
いつか売れたいとか
いつか金持ちになりたいとか
最高の車に乗って
最高の女と付き合って
最高の物ばかりを食べて
最高の家に住みたいとか
そんなことは、僕たちにとっては二の次だ。
そんなモチベーションは、とうの昔に捨てている。
たったひとつのエゴイズム
ちっぽけなアイデンティティー
僕たちを芸人としてここに踏みとどまらせている、最大にして最後の理由。
「ここで自分だけが脱落するのは、絶対に嫌だ。」
およそプライドとは呼べない、こんな些々たる自我に必死でしがみつきながら、僕たちは毎日をやり過ごしていた。
だから誰も辞めなかったし、誰も福岡吉本を辞められなかった。