1982年、18歳の藤原浩は、夕方になると毎日のように原宿のセントラル・アパートに向かったという。地元・三重県伊勢市の高校を卒業後、セツ・モードセミナーに入学するために上京した彼は、肝心の学校にはたった3週間ほどしか通わず、むしろ、夜の世界を学び舎としていく。そして、そこで出会った先生が、同住宅に事務所を構えていたファッション・ブランド<MILK>のデザイナー、大川ひとみだ。
藤原はセントラル・アパートで仕事の終わった大川やスタッフと合流すると、20時か21時には新宿の<ツバキハウス>へ向い、午前1時になると六本木の<玉椿>へ、さらにその後は西麻布の<レッドシューズ>へ、という風にディスコやカフェバーを巡り、朝、新宿の<京王プラザ・ホテル>で朝食を取ると、ようやく、帰宅するというコースを日課とした。それは紛れもない夜遊びだが、彼は大川と行動を共にすることでサブカルチャーの歴史を学んでいった。
やがて、藤原ヒロシと名乗り、日本のラップ・ミュージックの黎明に深く関わることになる男は、毎夜、繰り広げられる冒険の出発点だったセントラル・アパートについて、「聖地のような場所」だと振り返る。
「80年代前半、ギリギリ70年代の香りの残る場所だった【…】憂のある仄かに暗い70年代から、明るい華やかな80年代に移行してる時期だったんだろう。明るい未来と引き換えに何か大切なモノが消滅して行く時代だったのかもしれない」
70’s 原風景 原宿——リレーエッセイ 思い出のあの店、あの場所 Vol.7 藤原ヒロシ『セントラルアパート』
58年、表参道と明治通りがぶつかる神宮前交差点の東側に建設されたセントラル・アパートは、日本における高級賃貸住宅の先駆けだった。当初、立地がワシントン・ハイツ(前記事「『ワイルド・スタイル』クルーが見たホコ天〜戦争・アメリカ・原宿」参照)に程近いこともあって軍関係者に部屋を貸し出していたが、次第にアメリカナイズされたつくりに惹かれた、日本のファッション、広告関係者の事務所が増え、この国のサブカルチャーの拠点となっていく。
64年秋にセントラル・アパートを訪れた23歳のコピーライター・高橋靖子は、まるで、〝外国〟にいるような感覚を味わったという。
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