当事者主義批判とデモ批判
—— 前回は、「観光客」とは何者であるかというお話でした。当事者であることの多くは過去に過ぎ去り、「当事者だった観光客」が残るという。
で、それを自覚した観光客としての私たちはどう振る舞うべきかというお話も『ゲンロン0 観光客の哲学』には書いてありますね。
東浩紀(以下、東) ええ。「郵便的マルチチュード」と名づけました。
—— 「マルチチュード」については、そもそもの説明の後に、以下のように要約されていたのがわかりやすかったです。
マルチチュードとは要は反体制運動や市民運動のことだが、ただ、かつての運動とは異なりグローバルに広がった資本主義を否定しない。むしろその力を利用する。たとえば、インターネットによる情報収集や動員などを積極的に利用する。企業やメディアとも連携する。そして体制の内部からの変革を企てる。
『ゲンロン0 観光客の哲学』P142より抜粋
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