※牧村さんに聞いてみたいことやこの連載に対する感想がある方は、応募フォームを通じてお送りください! HN・匿名でもかまいません。
今日ご紹介するのは、血縁のある叔父さまがパートナーでいらっしゃる、そしてそのことが後ろめたいという女性の方からのご投稿です。
初めまして26歳(独身)女のひたろーと申します。 牧村さんの新刊、先日拝読しました。百合のリアルはじめ、牧村さんの言葉は私の心にまっすぐにすとんと落ちてきて、心や思考の隙間にしみわたっていくようです。
突然ですが牧村さんは近親恋愛についてどう思われますか?虐待の延長線のようなものではなく、一人の人間同士としてまとも(?)に築いた恋愛及び夫婦、パートナー関係のことです。 私は当事者です(血縁ありの叔父がパートナー)長くなるので色々割愛しますが悩んだ末の覚悟を持ってこの道を選んだのですが、やはり後ろめたさはいつも抱えています。
昨今では同性(愛)婚や、夫婦、家族の在り方、ジェンダー、セクシャリティ(わたし自身が色々と曖昧です)が取り沙汰されていますがどうにも置いてきぼりの気持ちになってしまいます。しかし声をあげることができません。保身の気持が働いてしまいます。一切身元を明かさなくていいネットでさえはばかられてしまいます。我ながら矛盾してるな、と思いつつもやもやしています。いっそせめて同性同士だったら声を上げられたかもしれない、と失礼なことまで考えます。
ごめんなさい。何度考えても文章をうまくまとめられないので、半端になってしまいますが牧村さんの考えをお聞かせください。
(ご投稿を全文掲載させていただきました)
ご投稿ありがとうございます。きっと、考えに考えて書いて下さったことなのでしょうね。叔父さまをパートナーと表現しつつ、独身、と自己紹介なさったところからも、ずーっと考えていらっしゃるご様子がうかがえるように思いました。ご質問は「近親恋愛についてどう思われるか」ということですが、そうですねえ、こう思うわ。
一つの愛の形だし、素晴らしいことじゃないかしら。堂々とカミングアウトなさって! それがきっと社会を変えるわよ!!
……みたいな回答だと、たぶん、単純すぎですよね。なんか、人の話を聞かないままメガホンで演説する人みたい。
なので、もうちょっと考えてみましょう。
ふたつのヒント、「自他分離」と「個全分離」
この「覚悟を持って選んだ道なのに後ろめたい」っていう感覚、なんか、もやもやしちゃいますよね。でもね、じっくり向き合ってみると、自分だけでなく他人をも尊重するための、ふたつのヒントに出会えることだと思っています。
ひとつは、心理学の言葉で言う「自他分離」。もうひとつは、いま考えた言葉なんだけど、「個全分離」です。
どういうことなのか、具体例を踏まえつつ考えていきたいと思います。
自他分離——「あなたはそうなんですね。でも、私はこうです」
自分と他人が別の人間であるという感覚、自他分離。当たり前のことに思えますが、この感覚は、たとえば「同じ日本人同士」「○○家の人間として」「女性なら普通は」というように、同じ共同体に所属していると感じる人間に対しては弱くなりがちです。
自他分離ができていない例:
「誰に似たのかしら! そんな子に育てた覚えはありません!」
「え~っ、私、30年も年上の彼氏とか無理~! だまされてるんじゃない!?」
「男なら普通、浮気のひとつやふたつは考えるものだろ!?」
でも、これがちゃんとできると、自分を肯定するために他人を否定するってことをしなくなる。また、他人に否定されても自分を肯定することができるようになります。
この感覚、私の敬愛する女優の杉本彩さまが、「あなたに文句を言ってくる人はあなたの人生の責任を取れない」っておっしゃったことから学んだことです。この「自他分離」をもうちょっと大きな視点から見ると、こうなります。
個全分離——「ああいう人がいる。でも、こういう人もいる」
個人と全体とを分けて考える感覚、個全分離。これができないと、ある個人が人類全体のあり方を変えてしまうように思えたり、また、ある個人からある集団全体のあり方を決めつけてしまったりしてしまいます。
個全分離ができていない例:
「同性婚なんて認めたら、子どもが生まれないから人類が滅びるぞ!」
「年上の家族と恋愛? そんなわけない、あなたは虐待被害者よ。本で読んだわ」
「近所のゴミ出しマナーが悪いのはたぶん○○人の一家だろう。昔、近所に住んでた○○人もゴミ出しマナーが悪かった」
で、この自他分離と個全分離の感覚、日常生活レベルで人づきあいをする分には、いいんですよ。「あなたはホットドッグ、ケチャップとマスタードで食べるのが好きなのね。私はチリビーンズ派」とか、「えっ? ボブさん、ホットドッグ嫌いだからおすすめの店も知らないって!?」「そりゃ、アメリカ人だからってホットドッグ好きとは限らないでしょ、お父さん」「そうだな~、はっはっは」みたいなことができる。ただ、社会制度を設計するにあたっては、この感覚って、取り入れるのが難しいんだと思うんですよね。
「法律でできないことは、いけないことなんでしょ?」
2017年現在、日本の法律では、こういう決まりになっています。
『直系血族又は三親等内の傍系血族の間では、婚姻をすることができない』
(民法第734条一項)
法律っていうのは、「自分たち全体のルール」です。「自分と他人は違う」「個人と全体は違う」的な発想とは、根本的に相性がよくないわね。その上でなんとな~く、「できないことは、いけないこと」ってイメージが生まれてしまう。
でも、何ができないとされていることなのかは、時代によっても地域によっても違うわけですね。「できない、いけないのが当たり前」なんてことはない。
すごく覚えてるエピソードがあるの。20歳くらいの時だったと思うんですけど、10か国くらいの国の留学生が集まって、日本を例に社会と文化について学ぶ、っていう講義を受けていたのね。で、100人くらいの学生を前にね、講師の方がこうおっしゃったの。
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