第7章 自由
福岡県八女市にて
由里子は、俺の話を聞き入れてくれた。
彼女がどれぐらい納得してくれたのか、どこまで俺を許してくれたのか、わからない。
けれど、黙って俺を送り出してくれることに、同意した。
彼女には、詫びる思いしかない。
この世界で一緒に暮らしたい。本心を聞いたうえで、俺は選択を変えなかった。ある意味で、俺も彼女を振り回したバカ野郎だ。
由里子と別れる。それは時間旅行に出ると決めた俺が、一生心に背負っていく、唯一の後悔だ。
由里子が持って来てくれた、折り紙のハトには、しっかりと俺の筆跡で、ソースコードが書かれていた。
俺は再び自分のスマホに、タイムスリップ装置を取り戻した。
身支度を整えてから、向かった先は福岡県の八女市。
オッサンが生まれ育った故郷だ。
博多駅からJRを乗り継ぎ、久留米駅に着いた。
ステンドグラス風のお洒落なデザインの駅舎に目を引かれる。構内では地元出身のスター、チェッカーズの懐かしい歌が流れていた。
駅からタクシーで40分ほど吉田方面へ移動した。福島高校前のバス停のすぐ近くに、岩戸山古墳がある。ヤマト王権時代の豪族、筑紫君磐井が埋葬されている、北部九州最大の前方後円墳だ。
併設されている歴史文化交流館から、前方後円墳に行ける。立ち入りは自由だ。
墳の上部には広大な森が広がっている。
盛り土状の通路を抜けていくと、古墳別区があった。
柔らかい芝で覆われた、平坦な正方形の台地だ。古代の司祭たちが民衆を集めて、祭事などの儀式を行った場所だという。
森と反対側のあたりの位置に、古墳に埋葬された石人たちの模造像が並んでいる。九州の特殊な凝灰岩で作られたといわれる石人は、本土の古墳の埴輪像などとはデザインがだいぶ違う。大陸文化の影響を受けていて、日本人の繊細さとは別の、力強いダイナミックな造形だ。
古墳の森から、気持ちのいい濃密な緑の匂いの風が吹いてくる。
ブンブン飛んでくる巨大なスズメバチに注意しながら、俺は別区の真ん中に立った。
空を見あげた。
よく晴れていた。静かだった。
「堀井はどんな思いで、石人たちを見ていたのかな」
岩戸山古墳は、堀井が小学生の頃に、よく友だちと遊びに来ていたと言っていた。竹とんぼやケイドロ、陣地取り合戦で、この芝の上を駆け回ったという。
少年時代の堀井は「悩み事があったときも、散歩に来ました」と語った。
父親への恨みに耐えきれないときや、高校卒業後の進路、ビジネスのプラン……さまざまな思考を練ったに違いない。オッサンの人生の地図が描かれた、原点となる場所だ。
俺は時間旅行の出発地点を、ここに決めた。
オッサンは俺を連れ戻すために、タイムスリップを使って追っ手をさしむけるかもしれない。だが、岩戸山古墳から時間旅行に飛んでいけば、タイムスリップのメカニズムそのものを、消せるのじゃないかと思った。
タイムスリップの開発者が過去に行けない理路があるなら、開発者の生まれた地点から歴史を消すことで、タイムスリップの律がすべて消える理路も成り立つと、俺は考えたのだ。
うまくいくかどうかはわからない。
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