皆川睦男の打者が嫌がる小さなスライダー
平均以上の球種か技術を一つ覚えたことで、金字塔を打ち建てた投手がいる。
1950、60年代に活躍した右のアンダースロー、南海の皆川睦男(睦雄)である。
56年に肩を痛め、下手投げに転向。以後、コンスタントに2桁勝利を挙げながら、20勝には届かなかった。
変化球はシュート、カーブだけで、張本勲(東映など)、榎本喜八(毎日=現ロッテなど)ら左の強打者への内角を攻める球がなかったため、思い切りよく踏み込まれ、外へ逃げるシュートを狙われるという、ウイークポイントがあったためだ。
私とは同学年で54年の同期入団。遠征宿舎では相部屋。消灯時間後も、野球談議に花を咲かせた。その気安さから、ある晩、ふとボヤいた。
「左バッターをなんとかせえ。左の強打者が出てきたとき、俺は“神頼み”でリードしているんだぞ」
「どうしたらいい?」
「お前には、いいシュートがある。それを生かすため、小さなスライダーを覚えたらどうだ」
ピッチングは、ペアで成り立っている。
「ストライクとボール」「速さと遅さ」「高めと低め」「内角と外角」──。ピッチングを突き詰めれば、これらのペアをいかに操るかだ。
皆川の右打者の内角に食い込む鋭いシュートに対して、対になる球種は何か。左打者の懐を攻める小さなスライダーだ。今では「カットボール」と呼ばれる球種の習得を勧めたのだ。
68年のキャンプから本格的に取り組み、キャッチボールからブルペンまで、マンツーマンでチェックを続けた。
そして、巨人とのオープン戦。一死一、三塁で左のホームランキング、王貞治を打席に迎えたときである。
「よし、いい機会だ。一球目は外角のボールから入る。打ち気にさせておいて、小さなスライダー、いくぞ」
グシャッ。バットの根っこに当たって、二塁への小フライ。あの打球音と、皆川のうれしそうな顔は、忘れられない。
この年、皆川はあれよあれよと勝ち星を重ね、初の20勝どころか、31勝で最多勝。プロ野球で「最後の30勝投手」であり、通算221勝を挙げた。
打者が嫌がる球種を一つ、覚えるだけで、投手はガラリと変わるのだ。
引退後、皆川には「いまの俺があるのもノムやんのおかげだ。ノムやんと出会えてよかった」と感謝された。お世辞にしても、ありがたかった。