小倉智昭「世界の渡辺謙だから」
まだまだ相継ぐ芸能人の不倫報道を前に、不倫なんて個々人の問題なんだから外野がとやかく言う問題じゃない、とする対応が流行っている。たった1年前の流行りは「袋叩き」だったのだから、あらゆることには流行り廃りがあるものだと皮肉を込めつつ感心するが、「偉い男性」が不倫した場合には許しましょう、との姿勢は流行りではなく、揺らがない通念のようである。
闘病中の妻がサンフランシスコにいる間にNYで女性と密会を重ねていた渡辺謙の不倫を『週刊文春』がスクープすると、朝のワイドショーで加藤浩次は「謙さんもハリウッドスターって考えると『あっ、いいのか』って」と、最近の流行りを踏襲した。小倉智昭は「ご夫婦のいろんな素敵なお話とか、謙さんがお客さんを招いたときの接待とかお料理とか、素晴らしい話を聞いているから、この2人はビクともしないだろう」と、お得意の「私は知ってる」を乱射し、コメンテーターの古市憲寿が違和感を表明しても「世界の渡辺謙だからですよ」と片付けた。「世界の~」という枕詞を強い条件として機能させようとする姿勢にうなだれるが、そもそも、客を招いたときの接待や料理が今件とどう関わってくるのだろうか。まさか、手作り料理が何品も並べば夫婦円満だと思っているのだろうか。
「不倫したけど名俳優」
「つくづく考えさせられる渡辺謙の『不倫』」とのタイトルに誘われて『週刊現代』(2017年4月15日号)を手に取ると、「一部のスポーツ紙は、闘病中の妻がいるのに不倫した渡辺を『ゲス』と表現していたが、ベッキーの場合と違って、齢を重ねた夫婦の関係は、そんなに単純なものではないだろう」とあり、その説得力の弱さについて、つくづく考えさせられてしまう。夫婦の関係は齢を重ねていなくてもそんなに単純なものではないけれど、渡辺謙だったら許そう、との雰囲気作りを急ぐその手つきは、あまりに乱雑に思える。
同記事では何人かがコメントを寄せており、「彼ほどの名優の価値は、この程度のことでは何も変わらない」(作家・藤田宜永)、「一時的なダメージは避けられません。ただし、ハリウッドでも、長身かつエキゾチックな東洋風の風貌で、あの内面の力強さ、スケール感を出せる俳優は唯一無二の存在なんです」(映画ジャーナリスト・大高宏雄)といった発言が並ぶ。皆が「俳優としての価値は下がりますか?」と問うているとは思えないのだが、コメントはその設問への答えばかりになっている。「不倫したけど名俳優」、この「AだがB」のうち、「B」を持ち出して「ベッキーの場合」との差の説明に使っているが、「ベッキーの場合」と比較するならば「B」ではなく「A」でするべきである。
偉いおっさんだと放免される
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