ピンチでしかない、ピンチという存在
今回の「やらない理由」テーマはこちらだ。
・ピンチは乗り越えたいが、頑張るのは嫌
仕事でむかえたピンチについて友達に相談したところ「ピンチはチャンスだよ!」と言われた。どんなピンチならそんな風に思えるのだろう。
まずそいつは本当に友達か。それとも色々ある前のベッキーか、もうそんなことを言い出す奴が周りにいない時点でラッキーだ(韻を踏んだ)。人間生きている限り、ピーマンが食えなかったり、逆上がりができなかったり、未だにカタカナのシとツの書き分けができなかったりと、大小様々な壁にぶち当たる。その壁を越えることにより、人間は成長する、そういった意味で「ピンチはチャンス」と言えなくもないというわけだ。
しかし世の中にはピンチでしかないピンチというものが存在する。よく窓ガラスに虫がぶつかってくることがあると思うが、あの虫がぶつかる前より屈強になって飛んで行った姿を見たことがあるだろうか、大体そこで死んでいるだろう。しかもその窓ガラスが虫にとって「ビッグチャンス」かというとそんなこともない、長き修行の果てにガラスを貫通し、屋内に進入成功したとしても、今度はフマキラーとかが待っているだけだ。
このようにピンチにはピンチ以外の何物でもない上に、越えたら次のピンチが待っているだけ、という人命が失われた上に「何の成果も得られませんでしたあ!」と進撃の巨人状態になるしかないピンチが数多く含まれているのだ。
「ピンチはチャンス」と言われて、何故もやもやするかというと、まず「簡単にそんなこと言うなよ」という怒りもあるだろうが、その旧ベッキーのように前向きになれない自分を責める気持ちが出てきてしまうからだろう。自己嫌悪ほどメンのヘルスに悪いものはない、当コラムで推奨する健康法においては、水銀を飲むぐらいやってはいけないことだ。
そもそも虫だって、目の前にガラスというピンチがあるとわかっていたら避けるのだ、ぶつかるのは不注意による事故であり、ましてそこにピンチがあるとわかってぶつかるのは、バンジージャンプの紐(ひも)が規定より若干長いとわかっていながら飛ぶのと同じだ。つまりまず「ピンチはチャンス」と言ってくる人間の方が虫以下であると思おう。これでずいぶん楽になる。
正しくトライするということ
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。
cakesは定額読み放題のコンテンツ配信サイトです。簡単なお手続きで、サイト内のすべての記事を読むことができます。cakesには他にも以下のような記事があります。