付き合っている彼氏のために手料理を作る女の人は多い。
「肉じゃがなどを作れると家庭的な女アピールになる」という恋愛テクニックは、もう元ネタが誰の何なのかわからないほど世の中に浸透しているし、最近では、肉じゃがだとあざとすぎるし、意外と「肉じゃがが一番好きな食べ物!」という男性は少ないから「究極の雑炊」や「ピーマンの肉詰め」あたりが家庭的な女アピールとして実用的という発展系も生まれてきているほど、手料理で家庭的な女アピールをしようという戦法は、やはり浸透していて、根強く支持されている。
ハンバーグやオムライスのようなわかりやすい美味しさのメニューや、鶏の唐揚げなどニンニクの効いた家庭料理は、独身世代の男性には不動の人気で、作ってあげると喜ばれる手料理だとは、私も思う。
しかし、私は独身時代、男性に手料理をふるまうことを徹底的に避けてきた。
女としてのポイント稼ぎのためにキッチンに立ったことは、27年間生きてきて、本当に一度もない。
どうしてみんな恥ずかしくないの?
なぜなら、私にとって手料理をふるまうという行為は、かなり恥ずかしくて、すごく気まずいことだから。
というか、どうしてみんなは恥ずかしくないんだろう、と不思議に思う。
自分が食べる側になった時のことを振り返ってみると、他人の手料理が口に合わない可能性というのは結構ある。
そのお料理が成功してるとか失敗しているとか、そういうこととは別として、「好きな味」「あんまり好きじゃない味」というのが人それぞれある。
大人数で食事をするとよくわかることだけれど、一般的に「美味しい」と言えるクオリティに達しているお料理でも「これのどこが美味しいの?」「俺はこの味好きじゃない」と言い出す人というのは、結構いる。
「まずくて食べられない」というレベルまでいくと、人はそれを自分の「キライな食材」として認識する。キライな食材が何かを自覚をしている人は多いけれど、味付け単位や調理法単位の「こういうのは好きじゃない」の傾向は、はっきりとした自覚を持っていない人がほとんどで、仮に訊いても、本人も説明ができない。
だから、他人のそれを事前にリサーチするのは基本的に無理だ。
大変な思いをするのは、ふるまわれた側
「まずいわけじゃないけど美味しさが理解できない味」は、全ての人にあるけれど、平均すると男性の方がやや、その「美味しさが理解できない味」の範囲が広いように思う。
そういうことを色々と考えると、手料理を出すのってすごく気まずい。
自分の中では「美味しい!」と思っているレシピを、失敗なく作れたとしても、相手にとっては「美味しさが理解できない味」の可能性が必ずある。
さらに、その場合に大変な思いをするのは、手料理をふるまった側ではなくふるまわれた側であることも、すごく気にかかる。
作ってもらったごはんを食べて感じたことが「美味しい!!」ではなかった時、食べた側というのはなかなかの窮地に立たされる。どう反応したらいいか、本当に気を使うし、気疲れする。
デートで手料理をふるまう、というのは誰がどう見ても、良かれと思って加点されるつもりで取っている行動だ。そしてそんな日に選んでくる献立は、本人にとって自信作に決まっているし、「味、どうかな?」と訊いてきたとして、その時の心のテロップは「美味しいでしょ?」に決まっている。そうじゃなきゃ、デートで手料理をふるまう、なんて行動に出るわけがない。
なんかもう全体的に、すごく気まずいし、恥ずかしいと思う。美味しくないかもしれないのに、逆に気を使わせているかもしれないのに、どのツラ下げてふるまえばいいのかわからない。
美味しさが数値で測れるものであれば、事前に100点が出るまで試作をして、絶対に気を使わせない、必ず大丈夫なものをふるまう準備をすることができるけれど、味覚にこれだけの個人差がある以上、どう努力しても、気を使わせる可能性を0にできない。
私は、人に食べさせるという前提で料理をするとき「本当に美味しいだろうか?」「絶対に美味しいだろうか?」と、すごく疑いながら味見を重ねる。自分用の食事を作っているときと同じ感覚では、フライパンの中身と向き合えなくなる。そして、そうやって料理をしているとゲシュタルト崩壊のようなものが起こって、もはや美味しいのかどうかわからなくなってくる。
人に手料理をふるまうからには、かなり美味しくないと相手が可哀想だと思うけれど、「美味しいでしょ?」という前提になるその状況設定のプレッシャーに私は耐えられない。
そんな私が、旦那さんのためには料理する理由
そういう理由から、私はこれまで、男性に対して手料理をふるまおうとしたことがなかった。
しかし、結婚をして同居をするようになって以来、私は旦那さんの食事をすべて用意している。お昼ごはんは支給される職場なので、家で食べる分の朝ごはんと夜ごはんに関して、毎日作っている。
交際相手には気まずくてできないことが、結婚相手だとなぜできるのかと言えば、私にとって、結婚した相手に対して食事を用意するのは、女子力アピールでもイイ女パフォーマンスでも何でもなく「これは、あなたの健康を管理するためにやってることです」という大前提を持てるから。
私は彼には絶対に健康でいてほしい。そのためには毎日の食事がすごく大事だから、そのために作る。
そういう観点で献立を決めているので、仮に彼の口に合わない場合があっても「身体にいいから作ってみたんだけど、美味しいかどうかはまた別の問題だから、次からは他のプランでいくね」と言えるので、気まずくないし恥ずかしくない。
なので、肉じゃがなどは作らない。肉じゃがのような多くの家庭料理は、健康への配慮に欠けていて、身体へ与える影響が外食と変わらない。だったら外食で良いと思う。私が自炊をする理由は、外では食べられないような身体に良いものを食べられるからだし、彼に手料理を与える意義もそこだ。外食のようなものを食べるのなら、外食の方が楽なので、外食をしたい。
そしてまたその意味においても、付き合っている時の手料理は本当に意味がない。食事で相手の健康を管理しようと思ったら、毎日食べさせないと意味がなくて、相手の食習慣をコントロールしてはじめて、その人の身体に関わることができる。
たまのデートで一食だけ、健康的なごはんを挟んだところで、相手の未来には何の影響もない。
子供が生まれたら話はまた別
ちなみに、子どもが生まれた場合の食事に関しては、ハンバーグも唐揚げもオムライスも作る。健康的な献立と、そういう一般的な献立を半々くらいで作ると思う。
子どもにとって食べることは「知ってる味」を増やす作業なので、一般的な食事をさせて他の人との共通言語を持たせてあげないと、浮世離れしてしまう。
「ポテトチップスって何? 干し芋しか食べたことない」「グラタンって何? うちではそんなの出てきたことない」というのは浮世離れだ。
そもそも、食事をどんな存在と捉えるかは個人差があり、どんな風に食べて生きていくかはそれぞれの生き様で、そういうのは本人が選ぶべきだと思うので、まずはスタンダードを与えて(浮世離れしない程度に、なるべく高品質なスタンダードを)、その先に「授業中に眠くなるから困る」だったり、思春期になり「痩せたいの」などと相談があった場合に、私の知識を持ってサポートしたいとは思うけれど、最初から親の価値観だけで偏った食事をさせてはいけない。
しかし、夫婦2人だけで生活している今、休みの日は外食をするし、家以外で身体に悪い食事をする機会はいくらでもあるので、せめて家での食事は健康を管理するメンテナンス枠として、身体への影響を最優先にした食事作りをしたい。
もちろん味にはこだわるし、仕事終わりのごはんは楽しみにできるものじゃないと可哀想だと思うから彼好みの美味しいを毎日目指すけれど、わかりやすい名前のある料理だったり、見栄えのする料理を作ろうとは思っていない。そんなことより、明日や来月や来年の元気な身体を優先して、今日のごはんを選ぶ。
私の料理に対して、旦那さんが思っていること
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