「横へ」のつながり
これまで3拠点生活について、移動の自由が楽しめるようになったこと、そしてびっくりするほど所有するモノが減ってきたことという変化のお話をしてきました。3つめの変化は、人間関係のネットワークが多層化してきたことです。
思いかえすと、昭和のころまでは人間関係はかなり固定的でした。たとえば古い時代の農村だったら、村で生まれ、村で育ち、村ではたらいて、村で老後を送る。村から出ることはほとんどなく、きわめて限定された人間関係だったのです。
近代化が進んで人々が農村を出て、都市に流れ込んでくるようになると、当初はさまざまな人たちが入り混じり、まるでバザール(市場)のような混沌がそこには生まれていたでしょう。日本でいえば、太平洋戦争が終わった後の焼け跡の時期がそうです。でも高度経済成長が起きると、混沌はおさまり、日本人の人間関係は企業社会に回収されていくようになります。
昭和のころの典型的な会社員の人生。地方で生まれ、思春期を地元で送り、高校を卒業し、上京して大学に入る。大学を出て就職し、会社の独身寮に住み、社内恋愛し、社内結婚し、社宅に住み、週末には同僚や取引先とゴルフや野球をし、会社の信用組合からお金を借りて家を建てる。定年退職とともにそれなりの金額の退職金を受けとり、会社の厚生年金でのんびりと老後を送る。
そのころの終身雇用制では、人間関係さえもが社内で完結していました。わたしも終身雇用の新聞社ではたらいていたので実感がありますが、ひんぱんに移動や転勤があるため、社外に人間関係がつくりにくく、結局は社内の人間とばかり交遊するようになってしまいます。
しかし2000年代に入って会社の中だけで暮らすというありかたは難しくなりました。人は否が応でも、会社の外に人間関係をつくらなければならなくなったのです。